11月
19
余韻

先日の日曜日の昼過ぎ、本番があった。あぁ、楽しかった。
その時はただそれだけを感じ嬉しかった。

実はその晩、なかなか眠れなかった。
ようやく寝付いて、浅い眠りの中で夢を見た。
今自分が考えていて、やろうとしていて、生きているうちに出来たらいいなぁ、と思っていることが実現している夢だった。
ハッと目が覚め、この夢は絶対忘れてはいけない、と強く思った。

それから、じわじわと、その本番の真の意味が理解できてきたような気がする。

私はかつて、創部昭和4年という希有な伝統を持つ、東邦高等学校吹奏楽部というところの顧問で毎日指導をしていた。
前任からそこを引き継ぐときに様々混乱があり、何も知らずに着任したとき私は全く孤立し、以来私以前との断絶は続き、しかしそのなかで伝統に見合う活躍をしなければならないプレッシャーと戦い続け13年ほどでそこを辞めた。

辞めてからやはり変わらない状態でさらに年月が経ったが、邦吹会という私以前の東邦高校吹奏楽部OBの方々が中心になっているBANDで本番を振ったのが先日の日曜日の昼過ぎ。この日この本番をもって続いていた世代間の断絶がとうとう終了した。

本番最中は、冒頭に書いたように、単に「ようやく繋がることができた」ことが嬉しくて楽しかった。ようやく私を認めていただけたのではないか、と感じて幸せだった。時間はかかったけれどようやくここまで来る事が出来たのだ。

邦吹会20151115

ただ現在私が東邦高校吹奏楽部の現場にいないことはなんだか申し訳ない…。

が、その後じわじわと滲みあがってきた事がある。
私が2曲、そして先代が1曲、この二人でたった3曲15分ほど、その時だけの寄せ集めバンドで街角演奏することが、私個人の感情などとは比べものにならないくらい、とてつもなく大きな意義を持っていたことに気がついたのだ。
今それが大きな余韻となって私の中を駆けめぐっている。

創部以来85年を越える(きっと日本国内でそれだけの伝統を持つスクールバンドはほんの僅かだろうと思う…)伝統が、言葉のみで語られる歴史としてではなく、実際の人と人が繋がって受け継いでいく生きた伝承として蘇りつつある。その時々に関わる個々がいてこその伝統だが、受け継がれ出来上がった流れは人の意図を遙かに超え大きなうねりとなる。そのうねりの中に世代を越えた人の繋がりが厳然とあること。それこそが今まさに生きている文化なのではないか、とさえ思う。

まだまだ「始まり」に過ぎないが、とても大切な「始まり」だ。
その小さな「始まり」も勝手に始まったのではない。それを望み働きかけた方々がいらっしゃってこそ。心より感謝いたします。

記念写真

そして何よりも良かったのは「間に合った」こと、だと思う。本当に良かった。
「望むこと」の大切さ。

その晩に見た夢は「望み続けろ」ということなのだ。きっと。