6月
30
順序

ずっと前から欲しい物があって(それはカメラなんだけど…)、その商品の口コミ掲示板を良く覗く。
そういったネットコミュニティには、つきものの「荒らし」とかが手変え品変え出現する。いつもそんなやりとりも興味深く見ているんだけど、先ほどある書き込みが目に付いた。それは「荒らし」ではなく誠実な書き込みと見た。

良い写真を撮りたいのか、良い画質の写真を撮りたいのかの違いとも言えますね。

一度さらっとスルーして、ん?と思い直しもう一度よく考えた。
この違い、日常のいたる所で出くわすぞ、と。

例えばこんな風に言い換えてみる。

良い音楽をしたいのか、良い音質の音楽をしたいのかの違いとも言えますね。

私自身は間違いなく前者だな。そしてそれは世の中の当然と思っていた。
本質を見極めるとはそういうことだと。
「良い音質」は目的ではなく手段だと。
まず第一義は良い音楽をしたい。もちろんそのためのそれにふさわしい音質は必要である。

しかし、それって、どうも世間一般と違うんだなって思う。

まず、一定の価値観(流行とか、中道とか、視聴率とか、風習とか、…)にはめられた基準(ここでいう画質や音質)があり、その中で活動が行われる。
その一定の価値観から逸脱するものは大概否定される。特に最近は全否定になってしまうことも。(ワールドカップが開催される直前のサッカー日本代表チームの評価のように。)
そのみんなが大切にしている小さな土俵の中でドングリの背比べが始まり、目糞が鼻糞を笑う茶番になる。いや、茶番といっては失礼か。それが心底営みなのだろうから。

イメージする音楽を実現するために必要と思われた音質が世間一般の価値と異なっている場合、ある人はその音質を受け入れられないことは容易に理解できる。しかしその場合、受け入れられない音質に固執してしまうあまりその先にある本来の音楽を見通すことができず、音楽そのもの(発想や過程も含めて)の全否定をしてしまう事が往々にしてあると思うのだ。

もし、音質のみが音楽の優劣を決めるのなら、SPレコードを転写したようなフルトヴェングラーやトスカニーニの演奏は随分価値のない物になる。
声質のみが音楽の優劣を決めるのなら、サッチモのだみ声は声楽的発声とはほど遠いから聴くに値しないことになってしまう。

順序が違うんだ、と思う。
その事はとっても危険なのだ、とも。

良い写真を撮りたいのか、良い画質の写真を撮りたいのかの違いとも言えますね。

「良い写真」ってなんだろう?
そこに行きつくのはとても難しいと思う。
だから、とりあえず「良い画質」にこだわってしまう。
「良い画質」は数値化や可視化あるいは言語化することが簡単だから。
そして、「良い写真」が必ずしも「良い画質」であるとは限らないことを忘れ、「良い画質」こそが「良い写真」の絶対条件になってしまうことは是非とも避けたいと思う。

6月
29
暑い

6月末で既に猛暑だ。
今年はなるべくエアコンを入れないようにする。
しかし、既にめげそうだ。

リビングにある水槽のタイリクバラタナゴが、前日まで全く元気だったのに昼過ぎから急に水面近くをフラフラし始め夕方には底に沈んでいた。
水温は29度くらいだったのだが、暑かったのだろうか。見た限りでは病気では無さそうだったのだが。

残された一匹が寂しそうだったので近くのホームセンターに珍しくタナゴたちが売られていたのを思い出し見に行った。随分以前からいるにもかかわらず数が減っていなくて、人気無いんだな。
だから、丁寧な世話を受けていないらしく、ニホンバラは全て白点だらけ。カゼトゲは何匹かぷかぷか浮いていた。イチモンジは他に比べ大きな個体で幾分元気そうだったが。
いずれにしても状態が良くなかったので入手せず。

ま、そのうち。

6月
23
ドライブ用

便利グッズ2点制作完了。
制作費は0円。
掃除で発掘された資材やジャンクを流用。

2点といっても両方とも小さなテーブル。助手席用と運転席用。

助手席用はダッシュボードにベースを取り付け、抜き丁番(取り外し可能なちょうつがい)でセットするタイプ。
乗り降りするときは跳ね上げるだけで邪魔にならないし、必要ないときは取り外せる。
運転席用は、市販品にも見かけるハンドルに引っかけるタイプ。だから、もちろん運転中は使えない。
同じように丁番で跳ね上げられる。
(画像無くてすいません)

残念ながら、いずれも重量物は乗せられないかな。
ダッシュボードとか丁番とかの強度が少し足りないみたい。

でも、車を停めてちょっとした作業をするのに便利になる。
図鑑を置いたり、双眼鏡を置いたり、お弁当置いたり。書き物もできるかも知れない。
モバイルPCも多分大丈夫だしマウス用のスペースもある。
 

ますます快適な車旅になりそうだ。
特に車中泊中はきっと大活躍だろう。

6月
22
ムカデ

今朝、仕事部屋に体長20cm程度のムカデが出た。

急ぐようでもなく普通に行進しているのをしばらく見ていた。
このムカデを退治すべきかどうか迷ったのだ。できれば外に逃がしてやりたいな、と。

しかし、そのままでは物陰に隠れていってしまいそうになったので意を決して退治した。
今までに何度もムカデに噛まれて痛い思いをしているから、このまま部屋の中のどこかに隠れてしまい、何かのはずみで刺激して噛まれたらやっぱり嫌だから。

ペットとして飼いきれなくなり野に放たれたアライグマを今度は移入害獣として檻罠で捕獲処分する。
住処を追われ里に下りてきた熊を銃で撃つ。
寝入りばな、耳元に来る蚊をなんとしてでも叩かなければ気が済まない。

人間の都合。

6月
21
今日は夏至

我が家直下の田は今年耕作放棄らしい。
雑草が伸び放題。

だから、たくさん鳥が来る。
ムクドリが賑やかにおしゃべりしながらなにやらついばんでいる。
カルガモが隣の田植えされた水田に着水し、水浴びした後こちらに来てやはりなにやらついばんでいる。
もちろんスズメも団体さんでうるさい。
しかも朝から晩まで。
一番日が長い時だからたくさん活動できるんだろう。
(夜になると今度は蛙がうるさい。)

これは果たして良いことなのか?

6月
15
本格的な

梅雨模様。
雨降りは鬱陶しいけれど、本来あるべき天候になってようやく落ち着くというか…。

午前中、雨が降り出す前、庭にインコ(ルリコシボタンインコ?)が来た。
嘴がオレンジで顔も同系色、羽から尻尾にかけて綺麗なグリーン。もっとよく見ようとしたら人の気配で飛んで逃げて行ってしまった。
飼い鳥が逃げてきたのかな、と思ったけど、すばしこく良く飛翔したので、きっと野生化したヤツだろう。
仲間は見つけられなかった。

「ホーチキツケテ」ではなく自ら生き抜いているんだ。
(子供のころに飼っていた手乗り文鳥は、猫に襲われても無頓着に逃げずに食われてしまったからなぁ。)

6月
14
ひと月

経った。

様々な記憶が蘇ると同時にそれらが純化されていく。

すぐそこにいる気がする時がある。
つぶらな瞳でじっと見られてるような、尻尾の先が少しだけ揺れているような、そんな気配がする時がある。
そんな時は、ふっと温かい気持ちになる。
そして、
「ねぇねぇ、今から何するの?」
と期待満々で問われている気がする。

6月
12
心地よい

風を頬に受けながら昼寝を決め込む。
穏やかだ。

巷の喧噪をよそに、スズメがつがいで巣を作り子育てし賑やかしくさえずっているのを聞きながら、たまにケリがけたたましく警戒の声を上げるのを聞きながら。ツバメのつぶやきを聞きながら。

明日から雨の予想。
梅雨入りするかな。