10月
31
パンク

今朝、通勤しようと車に乗ったら、なんやらごろごろ音がする。
寒くなったからエンジンの調子悪くなったかなぁ、とか思いながら少し走った。
しかし、高速道路通勤だから、念のため道路の端に車を止め降りてぐるっと見てみた。

お見事、左後ろのタイヤに空気が入っていないぞ。
車に載ってるスペアタイヤは使えるのかどうか確認したことがない。しかし家にはスタッドレスがある。こりゃ、引き返しタイヤ交換するしかない。

朝から大変。途中で大事故するよりはよっぽどマシだが。
タイヤのパンクなんか今までほとんど無かったが。
帰りにスタンドで見てもらったら、何かが刺さったとかではなく、バルブの調子が悪かったみたい。バルブの横から漏れてた。

走行距離が尋常ではないからしょうがないか。

10月
29
今までの中で

一番苦しい時期だと感じている。
メンバーみんなも苦しい思いをしていることだろう。渦中まっただ中にいるのでとにかくそこから逃げ出したい一心に違いない。

しかし、決してただ苦しいだけは無い。
目には見えないが、少しずつ何かが変化し、少しずつ何かが準備されている。「僅かに」でも書いたけど。

きっと新しい局面への陣痛だ。今までもそうやって1つずつステップを登ってきた。歯を食いしばりながら、満身創痍になって登ってきた。

実は私もここ数日めげそうだった。奮い起こす勇気と気力がどうしても見つからなかった。

が、これを書いている今は気持ちに変化がある。変な言い方だが、変化を感じている自分の感覚を信じよう、と思い直している。

みんな、前に進もうとしているのだ。必ず出来るのだ。信じる。

日誌より

〜前略
ここの部活は、たくさんの考え方があると思います。でも、それはただ「あるだけ」です。その考え方が良いとか悪いとかじゃなくて、「あるだけ」。自分の考えを固定しているから、「あるだけ」。いろんな理由がありますが、まだ、誰もたくさんの中の1つの考え方も取りに行けてないな、と思いました。とくに私の場合は、よくがんこって言われます。それは、やっぱり自分の考え方が固定されているからじゃないですか?だから何か他の考えにぶち当たって、嫌だと思うと、絶対逃げてしまっています。でもそれでは他の誰かの考えはいつまでも、ずーーっと取りに行けないままだと思います。
 音楽だって同じだと思います。誰か他の人の音楽を取りに行かないと、1つにはならないんじゃないかと思います。
後略〜

10月
28
相談

悩んだり行き詰まったり、人の毎日は一筋縄では進んでいかない。

そんなときは身近な人に意見を求めたり、ネットを検索しまくったり、本や新聞読んでみたり、何か参考になること無いかな、と藁をもすがる気持ちでさまよう。

しかし、本当に未知の「何か」を探していることは少ないような。
大概の場合、(はっきり自己認識があるかどうかは別にして)あらかじめ自分の中に何かしらの回答があり、自分の回答を裏付けてくれる「何か」探している場合が多いような。

そして、誰かに相談しても自分に「しっくり」くる回答が得られなかった場合、「参考にならなかった」とせっかくの意見を打ち捨ててしまうことがある?
もしかしたら、そこに解決の鍵があるのかもしれないのに、自分の予想していた回答と違うと「私のことを真剣に考えてくれない」「その話意味ないね」と全く耳を貸さない事がある?

もし相談された側だったら、一生懸命悩んで考えた事をこともなげにスルーされたら、悲しくなるどころか腹立たしくなるだろう。
「だったらはじめから相談するなよ!」と。
「お前のために真剣に考えたのに!」と。

自分が持っていない価値観や方策を得るために、他人の知恵に頼っているはずなのにね。
自分の殻を破り、枠を外すことは、エネルギーが要る。そのエネルギーが不足しているからこそ他の力が必要なのだけれど、他を受け入れるエネルギーも必要だと言うことかな。

10月
27

時には必要な嘘もある。
時にはやむにまみれぬ嘘もある。
だから、全ての嘘が悪ではない、と思う。

しかし、麻痺すると怖い。
嘘が嘘を呼ぶ。嘘の罠から逃れられなくなる。
ドラッグと似てる。堕落。

一線を越える前に気が付き引き返せると良いが。
自分には嘘をつきにくいから、一番よく知っているのは自分自身だろう。取り返せるのは自分しかいない。誰も手伝えない。

10月
27
混雑ピーク時の

ファミレスで食事した。

自分の席からちらほら見え隠れするテーブルに若い夫婦と子供1人が座った。子供は2、3歳くらいだろうか、向かい合って座った夫婦の横手に子供用のイスを用意してもらった。つまり、子供を挟んでコの字に座っているということだ。 子供の反対側は相席で他のお客が食事をしている。

その幼い者は、しばらくおとなしく座っていたようだが料理が運ばれてくる頃になるとイスの上に立ちだした。さらに背もたれに座ったり立ったりを繰り返すようになった。
「ま、子供だからごそごそするのはしょうがないかも知れないな」と思いながら、「もし転んでイスから落ちたらどうするんだろう」と思いながら、「子供がケガしたらまずいじゃん、危ないじゃん、と思わないのかな」と思いながら、「その時はこけるようなイスを提供した店が悪いとか言い出すのかな」と思いながら、想像した一つ一つに冷や冷やしながら見るともなしに見ていた。
で、あることに気が付いた。この両親はその子供の行動について一切何も注意しないのだ。子供は存在しない、自分の邪魔をされたくない、と決め込んでいるかのごとく無関心。いや、ちょっと待て。母親は違うぞ。そんな子供に「あーん」してご飯を食べさせている。しかし、立ったり座ったり行儀の悪いことには一切触れないみたい。
そのうち、その幼い者イスから脱却し、テーブルの上に正座しだした。レストランという公の場の、しかも食べ物がが並んでいるテーブルだ。すぐ隣には別のお客だっているのに。
それでも、母親は何の注意もせずに「あーん」させて食べさせている。相変わらず父親は我関せず自分の食事に没頭している。

この両親は、10年後このその幼い者が成長したとき、様々な難問を抱えて大変な目に遭うんだろうな、その時じゃもう既に時遅しだよな、するべき時にするべき事をするってことは本当に大切だよな、などと話していた。
そしたら、おもむろに今まで全く無関心と思われた父親がその幼い者を抱き上げた。「えっ?子供が嫌いなんじゃないんだ!」「親としての自覚は一応あるんだ」とほっとしようとした。が、すぐにそれは違うと直感した。

とにかくそのときに自分のやりたいことをやっているだけなんじゃないか。その父親は、一番やりたいこと、すなわち「自分の食事」が「終わった」のだ。だから次に自分がやりたいこと、すなわち「子供をあやす事」を「始めた」のだ。
いや、それとも、ようやく食事が終わって手が空いたから仕方なく幼い者の世話をする気になったのかも。

無邪気にはしゃぐ幼い者の罪のない顔と一見幸せそうに見える2人の大人を見比べながら、こりゃ大変だぁ、このつけは誰が払うんだぁ、と苦しくなる食事だった。

10月
25
僅かに

動き出したか?

ほんの少しずつ。

形が見えるようになるまで育つにはまだまだ紆余曲折があるだろうが。
勘違いしなければいいが。
少々のことで諦めなければいいが。

じっと見守ろう。

10月
24
見切る

何処で?
何を基準に?

「見切る」の対義語は「粘る」かな?
「粘り」過ぎると「折れる」か?
だとしたら見切らないのもまずいかも?

何処で?
何を基準に?

「見切る」は「諦める」ではないよな?
発展的解決にするためには…?

何処で?
何を基準に?

具合の良い着地点を見つけること。

10月
24
言葉

が通じていないと思う事例が最近多い。
いや以前からそうだったかもしれないが、特に言葉について今まで以上に神経質に考えるようになったのかも。

「通じていない」ことはコミュニケーションがとれないことを意味する。
だいたいのことが通じても、肝心なこと、大切なことが伝わらなかったり、間違って伝わったり、理解できなかったりすれば人の相互理解はとても困難だ。

それでも話が通じないと思われる相手と「たぶんそういうことなのだろう」などと推測しながら話をしなければならないことが良くある。
正確に伝わったか、誤解したか、を常に確認しつつ、もし誤解だろうと思われるのだったら、何処まで遡ってその訂正作業をしなければならないか、どうやったら正確に伝わるか、余計なことまで組み立て無ければならないのでとても苦労する。

たった1つの指示をするだけなのに端的に正確に伝えることが出来ないのは、伝える側のより的確な指示語が発せられないからなのだろうとは思うが、それとは別に受け手側も能力開発も必要だよな。
それは、どこで、誰がやるのかな?日常の中でその都度気がついた人がやるのに違いないのだけれど。

考え過ぎかな。

10月
22
10月25日

この日、bjリーグ(プロバスケットリーグ)の試合前アトラクションの本番が入った。中間試験中というのに練習が続いている。
(タイトルの日にちが違っていた!)

しかし、本来はそれではない本番に出たかった。

マーチングコンテストの東海大会だ。
県大会と同じ名古屋笠寺の日本ガイシホールで行われる。何とか今年は、と欲張っていた。なんと言っても3年計画第3章だったから。普通に考えれば最終章だもの。

でも、次に託す。そして25日に出場する他の団体に託す。
素晴らしいマーチングの活動がもっともっと広がってたくさんのファンを増やし演奏演技がもっと洗練され発展することを。

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マーチングコンテストは夏のコンクールと比べると出場校数は少ない。
吹奏楽連盟のマーチング趣旨は、それまでのDCIを頂点とするマーチングのスタイルと異なっているから、マーチング専門団体は出場を敬遠する。さらに、音楽ホールの中でしか演奏したくない多くの吹奏楽団体はマーチング全体を「音が荒れるから」「練習場所がないから」などといって取り組みたくない。

それでも愛知県は他県に比べると随分盛り上がっていると思われる。
 
 
N-O高校の演技を見てマーチングの可能性に惹かれた私。
教育素材として、団体行動の訓練として、そしてパフォーマンス・エンターテイメントとして、最高の素材だと思った。
私自身がマーチングの勉強をしっかりやったわけではない。
おもしろそうだから「ちゃんとやれよ」と当時の生徒に指示したら、いつの間にかそいつがマーチングにはまってしまった。ただ、けしかけていただけなのに、いつの間にか他では絶対真似できないスタイルが出来上がっていった。
密かに私の誇りなんだ、あれは。

そんな折、Y先生がいる中学校のバンドの指導にいった。賑やかで明るいバンドだった。しかし音はどちらかというとはちゃめちゃ。それでもみんなで楽しんでいる雰囲気は良く伝わってきた。
いつの間にかマーチングを始めていて、あれよあれよと言う間に全国大会に出ちゃった。部員数は100人を越えすさまじい勢いで他を圧倒した。

今その中学校はこのあたりの吹連マーチングでは最強だ。素晴らしい。

あの頃のマーチング楽しかったな。一緒にいろんなイベントに出た。わいわい合同やった。懐かしい。
でも、やっぱり自分のバンドは苦しかったぜ。こちらの思うようなイメージで動けない。「演技」だけではなく日頃の活動そのものが危なっかしかった。

よく考えると今も昔も苦労していることは変わらない。同じような事で悩み、似た事で苦しんでいる。
目の前にいる生徒達は入れ替わるけれど本質的な事は何も変わらない。

私(我々)がやるべき事は今も昔も同じなんだな、きっと。

信じる事をやり続ける事、信じる道を歩き続ける事、それしかないんだよ、きっと。

やり続ける、歩き続ける、が出来てるってことがその証明なんだよ、きっと。

だから今年の10月25日は、出場する他の団体に私の思いを託す。
次は必ず私たちも仲間に入れてもらえるように頑張るから。

10月
22
日誌より

最近の日誌5連発!全部同じ学年。
 

〜前略

中学の時に使っていた教本「NEMU BAND MEETHOD」の和音のページには「-13.7」と「+2」と「0」という数字が書き込んでありました。
あと、同教本のディリー・トレーニングにアルペッジョという文字を発見。
初めて聞いた数字でもなければ、初めて見た文字でもない。なんて記憶が無くて、なんて教本に対する意識、音楽に対する意識が低いんだろう、と感じました。

後略〜

== 次。

〜前略

SEVENTEEN COME SUNDAY「日曜で17歳」という文字を私は甘く見ていました。
自分がこう吹くというイメージも今日、がらっと変わりました。
家に帰ってたくさん考えました。日曜で17歳になる主人公は、どんな想いをしているのか。
前向きな気持ちと後ろ向きな気持ちが、主人公の表面にでてるのか心の隅にひそんでいるものなのか…。
いろんなイメージがわいてきて音1つ1つがいろんなことを語れると思いました。
明日の本番で私は主人公のたくさんの想いを音に出したいです。
みんながそうだったら、合奏やっていて、「あ、あの子はこういうイメージかっ!!」「私といっしょのイメージか?」そういう疑問がうまれたら、音楽やるって楽しくて最高だと思いました。これが土俵に上がる?

後略〜

== その次。

今日はほーほう音楽祭でした。
私は12時から舞台袖でいろんな準備の手伝いをしました。
でも何をやればいいのか分からなくて全然動けませんでした。
 
〜中略〜
 
今日、できなかったことを、次できるように、今日の事を忘れず、積み上げていかないといけないと思います。
もっともっと、いろんな事に気づけて、行動できる自分になろうと思います。

== も一つ。

〜前略
 
その人のことを考えずに…。
その場、その場で人の気持ちを理解せずに…。
いろいろな人を悲しくする。
最悪な生き物。煩わしい生き物。
 
そんな生き物なのにTSWのメンバーとして扱ってくれてありがとう。

== さらに次。

〜前略
 
私たちは準備不足が多いと思います。
どうしたらいろいんな”準備”ができるのだろうか?
考えが足りない?うーん、それもありそう。
わかってても行動に移せない?そういう人もいそうだね。
なぜわかっているのに行動できないのだろう?自信がないから?
自分がやってもどうせ無駄だと思うから?うーん…。まだまだあるよね。
みんなで考えればたぶん良いやり方あるはず…!
頭フル回転で考えようっっ!!

 
 
ちゃんといろいろ感じ、想い、考えているんだな。今まで見過ごしていたことに気がつく事も大きな変化だ。
何一つ無駄になることはなく1つ1つが自分の糧になっていく。
さらに日誌に書くだけじゃなく、それが何かの具体的な動きとなって表に現れてくると良いなぁ。

もう少し待ってみるかね。