3月
31
久しぶりに

一つのアマチュア演奏会を最初から最後まで聴いた。

一生懸命だった。
やはり、それは美しいと思った。
堅さ、甘さ、不完全、流れの悪さ、等々、様々課題はあるけれど。
アマチュアの良さ、ってそういうところじゃないのかな、って改めて感じた。
考え、苦労し、工夫し、あきらめない。
その大切さは良く感じられる舞台だった。

だからこそ。
私は欲が出てしまう。
もっと出来るのに、って。
見ていると、もっと欲張ってみたら、と歯痒くなってしまう。
なかなか、それが噛み合っていかない現実もあるようで、難しいのかな。
 

以下は演奏会の感想ではない。
帰りの道すがら車の中で考えたこと。
===
たぶん、知らないのだと思う。
夢を持たない、のではなく、夢とは何なのか。
たぶん、面倒なんだと思う。
夢を叶える、ってことは簡単なことではないから。

それはバブルだとか草食とかそういったことではなく、単純に、誰も教えていないだけだと思う。教えることができる人がいないのだと思う。
だから、やり方を知らないままなんだね。

「遊ぶ事が出来ないんだ」と昨日テレビで誰かが言っていた。
やっぱり遊び方を知らないんだろう。ちまちま遊ぶんじゃなく、でっかく遊ぶこと。
いや、それとも、無駄なことに心底エネルギーを費やすことなど全くの無意味に思えるのかもね?
そもそも、音楽なんかまったく無駄なものだろうに。

全く無駄だからこそ必要なんだ、という矛盾を受け入れる大らかさが無い、ということなのかも知れない。

3月
30
体中が

痛いぞ。
久しぶりに一日中しゃかりきに棒を振ったら、終了間際には腕が上がらないくらいの脱力感があり、両肩に激痛が。腰も同様に。
運動不足以外のナニモノでもない。情けなし。
もうちょっと鍛えねばなぁ。
50肩もとうに初期ではなく、動かして可動範囲を広げていかねばならないし。
 

練習の内容は、数日後に本番を迎える30人程度のバンド。
一ヶ月ほど前に一度練習を見て、2回目。
本当は10曲ほどプログラムに持っているようだけれど、時間が全然足りなくて午前中にやっと一曲。午後に飛ばして4曲ほどやった。
日頃なかなかメンバーが集まらず、案外、楽器を始めて日の浅い方々も多いようで。
音楽の専門的な指導は今まで全くなく、しかし自分たちだけで良く頑張っていると、おもう。

少しアドバイスするとどんどん変化していく。
残念ながら、地道に積み上げなければならない基礎的な技術力は少ないけれど、それもしっかりした指導とトレーニングを続けたらすぐに解決しそうなんだな。

こんな感じのバンド、多いんじゃないかなぁ。
実にもったいない。
定期的に指導したらすぐハッピーなバンドになると思う。
もちろん、メンバーにそれなりのモチベーションが要るけどね。

その気になってくれたら面白いなぁ、と、痛い体に唸りながら再度考えた。
本番、覗いてみようかな。

3月
28
ラマラ・コンサート

今朝、この演奏会のことを知った。

指揮者ダニエル・バレンボイムの活動だ。
ここに書いた大指揮者は日本人の事だったが、やはり同じような事を考えている音楽家は多いみたい。

イスラエルとアラブの和平のために中東の若手音楽家を集めてウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団をエドワード・サイードと共に創り上げ、パレスチナ自治区ラマラでのコンサートを実現したのだ。

「音楽は政治的問題を解決できない。だが、知ること、理解し合うこと、それがなければ何も始まらない」と彼は言い、実際に活動をしているんだ。イスラエル音楽祭でワーグナーを上演しイスラエル人から「ファシスト」のレッテルを貼られたこともあるようだ。
彼自身、ロシア出身のユダヤ系移民を両親としてアルゼンチンに生まれているユダヤ人ピアニスト・指揮者なのだから、イスラエル側から見たら如何にも常軌を逸している、と思われるだろうに。

調べてみたら、この管弦楽団のドキュメンタリーと演奏会のライブがDVDで発売されている。
じっくりと観てみたい。

3月
27
近くの

小さな城趾に行った。岩崎城。

我が家の辺りは小牧長久手の合戦があったところで、まつわる場所が色々ある。
地名も面白い。首塚とか、血の池とか。血の池なんか、埋め立てて公園にしちゃったから、その公園の名前が「血の池公園」。すごい名前だな、と思う。ウソじゃないヨ。
− 徳川家康方の渡辺槍半蔵らが血のついた槍や刀を洗った池があった。この池には「毎年、合戦のあった4月9日に池の水が赤くなる。」という伝説が残り、「血の池」と呼ばれていた。この池を埋め立て整備されたのが「血の池公園」である。現在、池はなく、住民の憩いの場になっている。” − by Wikipedia

いつもは歩いても行ける「古戦場公園」という所によく行くのだが、今日は少しだけ(車で)遠出をした。

せろりの散歩だよ。
ステロイドや抗生剤でだいぶ筋肉が弱ってきているらしく、歩くのはもちろん、車の遠出もなかなか辛いのではあるが、それでも気分転換はしたいだろうからね。

駐車場に車を停めて、坂を少し登り、小高い丘の上に出る。
資料館の入り口に甲冑がいくつか掛けてあり、「試着自由」って書いてある!
おっ、試着している子供もいる。もちろんレプリカで樹脂製のようだが。
せろりはじっと不思議そうに見てる。

「もうそろそろ返しなさい」とお父さんに言われ、小声で「えっ、もう?イヤだな」と。随分気に入っている様子。
そうか、最近は歴史ブームだからか案外多くの人がいるんだな。

しばらくそんな光景を眺めながら休憩していたら、せろりは急に坂を下り始め車に戻ろうとする。
以前は全くそんなことはなかったのだけれど、「自分から帰る」って主張するようになったんだな。きっと満足したんだろう。

たったそれだけなんだけれど、随分疲れたようだ。
帰ってからしばらくよく眠った。

3月
26
演奏会後 其の二

TSWには運営用のWEB掲示板がある。
部員限定で、練習予定とか様々な重要事項が書き込まれていく。

そこにも、TSWメンバーの演奏会後の感想などが綴られている。
一挙に公開してみる。

まずは私の書き込み。

定期演奏会お疲れ様でした。

とても素敵な演奏会になりました。
どの顔も素晴らしく輝いていました。

苦しいから手加減する、のではなく、大変だからこそそれを乗り越える、こと。
本当の充実感を得られるのは、それをやり遂げるからだ、と実感できたのではないかと思います。

私も幸せでした。
みんなありがとう。

そしてみんなの書き込み。

=====
すごく幸せでした。
[NGO]、本当にありがとうございました。
=====
お疲れさまでした。
今まで、ありがとうございます。
たくさん学びました。
=====
とても幸せでした。
やってよかった、
途中で諦めなくてよかった、
と、思いました。
たくさんの事を
ありがとうございました!
TSW-NGOでよかったです。
=====
ありがとうございました!!!!
私も、とても幸せでした。
この経験を生かし、来年度も、その次も、頑張って行きたいです。
[NGO]、2年間だけでとても寂しいですが、本当にありがとうございました。
=====
ありがとうございました。
一年間だけでしたが
[NGO]に教えていただいたことは忘れません。
本当にありがとうございました。
=====
こんなに感動して、幸せだと感じたのははじめてです。
私の一生の宝物となりました。
この1年間は短いようで長かったです。
ありがとうございました。
=====
1年間、色んな事を教えていただき、ありがとうございました!!
[NGO]と一緒に、たくさんのステージにたつ事ができ、とても幸せです。
本当にありがとうございました。
=====
私も、とても幸せでした。
この2年間、毎日が充実していました。
正直辛くて、苦しくて逃げたくなる時もありましたが、逃げなくて良かったと思います。
私にとってTSW-NGOは一生の宝物です!!
2年間、沢山の事を教えていただき、本当にありがとうございました。
=====
2年間本当にありがとうございました。 
1日1日はとても長く、辛く苦しい日々でしたが終わってみると本当にあっという間だったなと思います。 
昨日の定演会も今までにないくらい楽しく吹けたので良かったです。
本当にありがとうございました。
=====
一年間という短い間でしたが、今までありがとうございました。
つらいことなどたくさんありましたが、続けてよかったと思ってます。これからもがんばります。
=====
[NGO]。今までありがとうございました。
つらいときもありましたが、越えられたのはみんなの支えがあったからです。
音楽で人はつながっているという言葉に感動をしました。
ステージを作り上げたことを自分の自信にしていきたいです。
=====
お疲れ様でした。
演奏会すごく楽しかったです。
苦しくて何度も逃げようと思いましたが、それをしなくてよかったと思っています。
このメンバーで舞台に乗れて、とっても幸せです。
一生忘れません。
何度言っても足りないくらいですが、2年間ありがとうございました。
=====
ありがとうございました。
[NGO]と出会えて、
スタッフの先生方と出会えて、
TSWのみんなと出会えて
本当に良かったです。幸せです。
今まで本当に本当にいろんなことがありましたが、それを乗り越えての第5回定期演奏会。とても楽しくてTSWがもっともっと好きになりました。
音楽を通してたくさんことを学びました。この3年間は宝物です。
[NGO]、みなさんありがとうございました。
=====
1年間有難うございました。
たくさんのステージに立てて嬉しかったです。
つらい時は何度もありましたが、先生の話しを思い出したりして頑張ろうと思いました。
これからも頑張ってやっていこうと思います。
音楽で繋がっているのを信じて。
=====
お疲れ様でした。
1年間、あっという間に過ぎました。
いろいろありましたが、定演が出来て良かったです。
これからも頑張りたいです。
短い間でしたがありがとうございました。
=====
お疲れさまでした
あんなに楽しく幸せな気持ちになれた演奏ははじめてで、私の一生の宝物で、自慢です
本番はあっという間で辛かった日々は長かったなと思いますが、[NGO]の言葉を信じて頑張ってきたかいがありました
こんなに一生懸命になれたのも、音楽があって、[NGO]やスタッフの先生方に出会えて、TSWだったからからこそ私は諦めることなくこの日まで来ることができました
ありがとうございます
たくさんの感謝で一杯でうまく言葉に表せませんが、私はTSW-NGOが大好きです
2年間という短い間でしたが本当にありがとうございました。
=====

みんな、ありがとう。

音楽は言葉で語るものではない、と思っている。
しかし、「それに関わる活動」についてはたくさん言葉を紡いで欲しいと思う。
今は、あまりにも多く複雑な感情が怒濤のように押し寄せてくるだろうから難しいとは思うが。
もう少し時間が経ち、騒ぎまくっている事柄のかけらが在るべき所に落ち着いて水が澄んできたら、もう一度ここに至るまでのことを反芻して自分の言葉にしてみて下さい。

嬉しいことも、悲しいことも、楽しいことも、痛いことも。
次なる幸せのために。

3月
25
演奏会後

にTSWメンバーからいくつかのメールが届いた。

昨年までは、それぞれの日誌から演奏会の感想などを抜萃して引用させてもらっていた。
しかし残念ながら今回はもうそれは叶わない。書いてくれても私は読めないからね。

ということで、頂いたメールを少し引用させてもらおうと思う。
それぞれの人たち、勝手に文章使ってすいません。
でも、独り占めはもったいないので…。

〜前略
この3年間で得た物、感じたこと、学んだこと、全てを言葉で表そうと思ってもなかなかできません…。
[NGO]を始め、スタッフの先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。
貴重な経験をありがとうございました。
TSWを卒業できて、よかったです。

(すいません。名前を[NGO]で伏せました。以下同じ。)

〜前略
私はたった1年間しか先生といることができませんでしたが、とても大きな1年だったと思います。
私は中学生の頃から合同バンドに参加し、今年で定演のステージに乗るのは4回目です。やはり今までの中でも今年は良かったです。スタッフの先生方に乗っていただきましたが、その前からすでにTSWさは出ていたと、私は思います。
多少本番でできなかった事はありますが、最高のステージになりました!
3部のアンコールでは思わず涙してしまいました。

先生から学んだことはたくさんあります。それをこれからにも繋げたいです。
まだまだ未熟なわたしですが、これからも先輩方とTSWを支えていきます。
まだまだ感謝は伝えきれていないですが…
 後略〜

もう一人。

〜前略
凄く楽しくて、幸せでした。

言葉にならない気持ちがいっぱいですが、嬉しかったです。
これから先も信じることを忘れず、たくましく生きていきます。
2年間でしたが、先生と音楽ができて、良かったです。
沢山ご迷惑かけましたが、
お世話になりました。

どこかで先生とまた音楽ができたら、嬉しいです。

はい。必ず。音楽はずっと続いています。

また、別の方からの感想もありがたくいただきました。こちらも少しだけ…。

〜前略
娘や部員と楽しく聴かせて頂きました。
御世辞抜きに、とても良い演奏会でした。
[NGO]のアレンジでの九メドレーや情熱大陸、とても良かったです。
少人数でのホルストや、アルメニアン、良く頑張ったと思いますし、ドリルは、[NGO]ワールド全開でした。
さすがです。
〜中略〜
T川を去ってしまうのは、金やダイヤモンドより貴重な財宝を失ってしまったと思いました。
しかし、この路線を継承して頂けると期待したいと思います。
 後略〜

少しばかり、もったいないお言葉が並んでいます。
特にドリルの”[NGO]ワールド全開”は少し違いますね。
私ではなく、優秀なスタッフ達の力です。声を大にしておきます。

いずれにしても、私たちが演奏会を企画するのであればどうしても譲れない事々を死守した結果、メンバー当事者やお客様に純度の高い満足感を感じていただけたようだ、と少しずつ実感しています。やっとそこに到達できたのかな、と思っています。

皆さん、「ありがとうございました。」
言葉で書くとたった11文字ですが、深い深い言葉です。
もう一度、「ありがとうございました。」

3月
24
なんでもあるなぁ

ゆうちゅうぶ。
世の中凄いことになっている。

ここここここで書いた演奏・曲がUpされているんだ。
知らなかったぁ。教えてくれてありがとう。携帯でも見れた。
催事名は県民文化大祭典2009inナゴヤドーム

1000人の吹奏楽1 このファンファーレと入場行進曲。
1000人の吹奏楽2
1000人の吹奏楽3 ここにTSWも出てくるよ!
1000人の吹奏楽4
1000人の吹奏楽5
1000人の吹奏楽6 これは全員による「メドレー・オブ・Kyu」の踊り。

へへへ。懐かしい。
これと同時進行で色々あったんだよな。

3月
24
眩しい!

左目の充血がひどいので眼科に行った。
単に出血しているだけで、特になんでもなかった。数日でひくでしょう、とのこと。

ついでに右目の眼底検査もした。
持病の関係で定期的に診てもらう必要があるのだが、1年以上も前に左だけやってそのままになっていた。
何故片目だけかというと、瞳孔を開く薬を入れるので、同時に両目検査すると眩しくて何も見えなくなり日常生活に支障が出るから。

結果は特に問題なし。
しかし、強制的に開いてしまった瞳孔はすぐに閉まるわけではなく、片目とはいえ眩しくてしょうが無い。

まだ今日は雨だからましなのか。
しばらくはあきらめて、ぼーっとしていよう。

3月
22
TSWの

諸君へ。

ありがとう。
この一言に尽きる。

言うまでもなく私は我が儘だ。
私は楽をしたい。
私は良い思いをしたい。
私は幸せでありたい。

しかし、それ以上に強い思いがある。
主体が入れ替わっても全く同等に同じ思いをしたい、ということだ。
すなわち、「私」と「あなた」が入れ替わっても同じでなければならない、と思っている。
なぜなら、皆が同じように楽をし、良い思いをし、幸せになることが自分にとって大切だから。

言い換えるならば、周りみんなが幸せであることが自分の幸せである、と思っている。
個人の幸せを突き詰めていくと全体の幸せを考えなければ成り立たない、と思っている。

1人で生きているのではない。自分以外の全ての人と関わっているのだ。
そう、あのトレジャリーオブスケールの表紙の絵だ。
私の根底をなすアンサンブルの概念。
 

今でも強烈な印象に残っているインタビュー。
20世紀末の頃、毎朝著名な人と対談し、最後に「21世紀に向けてひと言」を語ってもらうシリーズがあった。
大指揮者のインタビューだったある日、同じように「21世紀に向けてひと言」と促されて、にこにこしながらその大指揮者は「個人の幸せを追求できる世界にしたい」と語った。
直後、二人いたアナウンサーが同時に、しかも、ものすごく不審そうに「そんなことになったらみんな好き勝手し放題の無法な世界になりませんか?」と反論した。
大指揮者は不思議そうに「世界中のすべての人が自分は幸せだ、と感じる世界が一番幸せだと思いますが?」とゆっくり応えた。

私はこのとき、ああ、やっぱりこの人は大指揮者だ。音楽の理想の世界をそのまま純粋に語っている、と思うと同時に、一般的にはなかなか理解されない事なのかも知れない、と感じたのだった。

オーケストラの指揮者とは絶対的な存在で、指揮の指示のとおり団員の有無を言わさず従わさせ、それでオーケストラの秩序が保たれていると考えられているのだろう。
実際は、オーケストラの団員は国籍も性別も個性も音楽も違う一人一人の強烈な個であって、誰かに絶対的に従う、なんてことを一番嫌がる人達の集まりだ。だからオーケストラはある意味とても厄介な集団なんだ。
しかし、その個が集まり協働して音楽を創る。しかもその瞬間そこにいる団員全ては究極にそれぞれ自分の幸せ(理想の音楽)を願うのだ。それが集まると全体としてとてつもない幸せの塊である「音楽」を創出することになっていく。

ただし、それには条件が必要だ。
他者の幸せを願う(自分とは異なった価値観を受け入れ寄り添う)気持だ。
自分以外への思いやりに溢れた者のみが、自分の幸せを享受できる
自分が自分の幸せを願って参加し、しかし同時に他者の幸せを受け入れ混じり合い、全体として大きな幸せを作り上げる。
その大指揮者は、そんなことを言いたかったのだろうと思う。

しかし、そのアナウンサーは最後までそれを理解できなかった。
個人の我が儘を抑制しなければ全体は成り立たない、と。

 

私はTSWでそんな音楽を作りたかった。
だから、他者への思いやりに欠ける行動に対しては厳しくした。
また、自分自身のやるべき事をやらなかったり、自暴自棄だったり無責任だったりしたときも厳しくした。自分の幸せを放棄しているように見えたから。
その意味がなかなか理解できない時、みんなは随分苦しんだに違いない。

そして、区切りになった。
自分の足で歩いて自分の幸せを見つける旅に出る準備は整っただろうか。
自分の幸せ(価値観)を受け入れてもらうこと=他人の幸せ(価値観)を受け入れること。
常に立場を入れ替える事が出来ればよい。そして対話だ。ただそれだけだ。

自分の道は一人一人皆違う。しかし前進することが希望であることを知っていれば、その道は苦痛ではない。
さらに、その事を知っている人達がすぐ身近にいるはずだ。何かあったら頼る事も出来る。

そんな事どもをひっくるめたのが、TSW-NGOスピリッツだ。
理解しようとし、引き継ごうとしている諸君。
心の底からありがとう。

そして…。

いつも心に音楽を!

3月
21
長い

1日だった。そして素晴らしい1日だった。

迂闊にも3連休初日だということを失念していた。
「日進JC-岡崎IC 渋滞20km 100分」と表示されているのを見て「うぉ〜、間に合いっこ無い!」
ルートを変え走りながら、もしもの為に次の手を考える。おそらく同様にこの渋滞にはまっている他のスタッフと連絡を取りながら。
結局、到着はマーチングの通しリハが始まった直後だった。なんとかギリギリ間に合ったようだ。

最後のダメ出しをする。さらに舞台転換練習をし、3部、2部、1部と最後の通しをする。
昨日も感じたが、「これだったら本番楽しみだな」という大きな予感がする。

開場、1ベルが鳴り、呼び込みのカゲアナが入り、イタツキし、本ベルが鳴る。
1部の3曲。
決して充分な練習時間を確保できなかった。この本番のためにほんの数回しか合奏できなかった曲もある。その割には難易度の高い曲が並んでいる。

しかし、所々一瞬ではあるが素晴らしい音がする。
そしてなにより大切なこと、音楽はどこも滞っていない。

車にたとえると、オンボロだけど、とりあえず道を走って目的地まで運んでくれる。だから愉快に楽しくドライブを楽しめる。乗っている人はみんなで歌い、踊り、話し、景色を楽しみ、人の繋がりを幸せに思う。そんな演奏になった。

いくら超高級で立派な車でも道を走れなかったらドライブの楽しみは不可能だ。

2部、ドリル、とステージが進むにつれ、それはさらに確実になる。

3部になり中学生の皆さんとの合同ステージ。
「普段の練習はなかなか出てこないのに、この合同ステージは出たいし、練習もフル参加するんですよ、そんな生徒もいるんです。」と終演後中学校の顧問の先生からお聞きした。それだけ喜んでもらえている、ということで、嬉しい限りだ。
みんなとても良い顔で輝いている。笑顔が溢れる。

さらにアンコールになるとあちこちで目を腫らしながら演奏している。
音楽の喜び。人と繋がる喜び。

どうだ!まいったか!いいだろ!
 

そして、撤収。
楽器の戻し。
その後。

私が関わりだしたときから比べものにならない発展をしている。
必ず出来る。出来ると信じることから始まる。

出来るようになろうとし、必死にもがいているときは、端から見たら不憫でたまらないだろうが、そこで手助けをすることは手足をもぎ取ることになるから、じっと我慢し、出来ることを信じ、待ち続けること。
私がしたことはそれだけだ。信じて待つ。

途中で逃げたら絶対に解らない!

その結果、幸せでキラキラ輝く笑顔で溢れる素敵な演奏会になった。
 

様々な立場で応援していただいたすべての皆様、本当に有り難うございました。
何か少しでも大切なものを残せたかな、という実感はあります。
1人1人の中に確実に種を植えたと思っています。
さらにそれぞれ芽を出しどんどん伸びて行くことを期待しています。