8月
28
先日の集まりで

「吹奏楽好きじゃないと思ってました。」
「吹奏楽を嫌々やってる感、ありありでした。」
と、複数の人から別々に言われた。
もう20年近く以前の事なんだけど、みんなそんな風に思っていたなんて不覚にも今まで知らなかったなぁ。

吹奏楽という編成の持つダイナミックな表現力や繊細さ、どんな(音楽的)場面にでも対応できる柔軟さは、他に類を見ないと思っている。しかも演奏することへの敷居は低くアマチュア参加の扉は常に広く開かれている。
吹奏楽の可能性はあらゆる方向へ無限だと思う。その思いは今でも増大し続けている。

にもかかわらず、吹奏楽を狭い世界に閉じこめて重箱の隅を突きあっている世界がどうしても苦手なだけなんだ。
しかもとても排他的な事が多いから外から関わろうとする人は少なく、2重にその世界は守られている。
でもね、改めて言うけど吹奏楽そのものはやっぱり大好きなんだよ。
 

特に吹奏楽を一生懸命やっている若い人達を応援したい。
応援したいが、決して「やらされている状態」にはしたくない。ここが私の肝なんだな。

丁寧に説明してその通りにやれさえすればよい世界では結果が出るのは早いだろうが、説明が無くなればいずれ自分ではどうしたらよいか判らなくなる時が来る。自分で考える力を鍛えることが難しいからだと思う。
応援するということは代わりに「してあげること」ではなく自力で考え出来るように「支援」することで、さらに「支援」とは暖かく手をさしのべることだけではないと考えている。

「そんなこと自分で考えろ!」と冷たく言い捨てられた人達は多いと思う。
出来ていないことを「出来ていない!」と不機嫌に言い続けたし。
だから、私が吹奏楽を「好きじゃない…」「嫌々やってる感…」と感じてしまったのもしょうがないのかな。

特に若い世代ではその後どんどん自分の世界を築いて行くのだから、へこたれる事無く歩いていける力を付けて欲しいという思いからの「自分で考えろ!」だったんだけどね…。
 

でも、そんなことは今となってはどうでも良い。
なぜなら、その後の皆と話しをしていて「ちゃんと自分の足で歩いてきてる。凄いなぁ!」と思うからだ。限られた時間の中でそれぞれ充分にお話しできたとは必ずしも言えないけれど、きちんと自分自身を中心に据えて日々過ごしていることがとても良く伝わってくる。もちろん上手くいっていることだけじゃないだろう。画に描いたようなサクセスストーリーだけが生きることではあるまい。苦しいことも悩むことも自分自身の中で消化しようとしてる。それが私には「生きている」「生きようとしている」事を感じて心から嬉しい。

私のなかには「音楽とは生きることだ。生きる喜びだ。死を目前にして判った。」という師匠の言葉がいつもある。

WIND MESSAGE 2013 SUMMER

8月
17
ほ-ッ

このところ毎晩聞こえてくる。
ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、…、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、…、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ…、
(決して、ほー、ほー、ではなく、ほっ、ほっ、ほっ、でもなく。)
音程はなんとなくEかFくらい。テンポは52程度。

何年か前に聞こえていたのとは少し違う気がする。
正体を調べてみたら「アオバズク」らしい。
これもなんとなくなんだけれど、日によって聞こえてくる方向が違うっぽい。

生き延びることのできる環境がまだ残されている、ってことなのだろうか。

8月
13
入手完了

家捜ししてもどうしても見つからない本をようやく入手完了した。
何軒めの古本屋(例の大手チェーン店ね…)だったろうか。作者別ではなく出版社別の棚にあった。
他の探していた本もたくさん見つけたし、なにより思いがけず素晴らしい本も見つけたので大収穫であった。

その本の中にとても印象に残っていた一文があった。
高校生の頃(大学生だったかも…)読んだままだったのだけれど、先日なぜか突然それを思い出した。
どうしても見つけたかったのは、今さらながら正確に読み取りたい、読み取る必要がある、と思ったから。

以下、その一文の抜萃。

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一見、非ジャズ時のみっともなさを、ジャズ時でカバーできると思いたくなるが、これはだめだ。逆を考えてみればいい。ジャズ時の失敗をどうやってほかのところで取り戻せるだろう。

ピアニストを笑え!
山下洋輔 著
新潮文庫 版
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これは、「飯食っているときも風呂に入っているときもジャズだ」とのジャズ大御所の言葉に触れて「メシブロ・ジャズ」論を展開し、自身が「今のところ、この両方を統一することはおれには出来ない。」と言い切って終わるくだりだ。

もう一回読み返しても、昔読んだ印象の通りだった。読み返せて良かった。

この先、本の断捨離 はしないと思う。

8月
11
問題意識

先日このブログを知った。
紹介されていたのは、その内の8月7日の投稿
前後を読んでいると、その記事のアクセス数が爆発的に多かったらしい事が判る。そりゃそうだ、私だって見に行ったんだもの。

単に情報が欲しいだけだった場合でなければ、その話題になった記事以外の、少なくともその前後いくつかは読んで書いた人が何を感じ何を考えているか知らなければと思う。あればプロフィールも見るし他に参考になりそうな事も探す事にしている。
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ブログって、ちゃんとした会場でやるライブじゃなくて、路上ライブみたいだと思った。
路上だと、だれも知らないすっごい無名の人が勝手になんかやってたりする。
それで、ぜんぜん人が立ち止まらないで前通ってくだけが多いけど、たまに立ち止まってくれる人もいる。
だけど、最後までちゃんと見てるんじゃなくて、ちょっと興味もった間だけ立ち止まって、それで飽きたらすぐ立ち去ってく。
そういう感じにブログって見られる、って思った。
8月9日の投稿より引用
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その通りだ。私もずっとそう思ってる。FBにしても(やってないから解らないけどたぶん)Twitterも、その瞬間話題が流れすぐに埋もれていく。「あのとき誰が何て言ってたっけ?」なんて探すのは難しい。(何か方法はあるのかな?)
正しく理解できたかどうか不明なのにもかかわらず、確かにそう感じたという「印象」だけが積み重なっていく。

話題になっていた記事中いくつかのエピソードは、たぶんリアルな話しだったんだろうな、と思う。仮に創作だとしても実際、あり得る話し、だと思う。その上で、ブログ主の思いは理解できる。まったくその通りだと思う。

問題はその先。
「いいね」するのは簡単。で、どうやってそれを自分の物にするか。自分はどうするか。

追記
これは、FBで流れたこの記事に「いいね」したら自分のtopに流れなくなってしまった(なぜだろう?)ので、その覚え書き。

8月
07
怒りの夢

誰かと何かを差し向かいで話し込んでいる。BAND(吹奏楽)絡みの話しだったと思う。
音楽の扱い方だったか運営のポリシーだったか、内容は詳しく覚えていないのだけれど相手が気に触ることを言ったのだと思う。
真剣に心の底から怒りを感じ、怒りの大きさではっきりと目が覚めた。覚めてからも怒りで震えていた。
昨晩寝入りばなのことだ。

特にこの数年、夏の時期、自分の非力に対して悔しさを刻み、何とかしてそこから抜け出す事に傾注してきたつもり。
今年もやはりその悔しさは感じたのだが、どうやら一つ段階が進んだような気がする。悔しさと同じかそれ以上の怒りに似た感情が生まれてきたのかも知れない。

先の夢の話しは、その直前に考えていた事に由来してたのだろう。つまり吹奏楽コンクールの在り方とその審査に求められる内容について。

それは例えば、数年前トモダチ作戦で希望の光を乗せて東北の空を飛び回ってたヘリが墜ちたことに対する短絡的な感情とか、今でも汚染水が溢れ続けているのに、生活維持するには電気がたくさん要るから動かせ、とか、自分ちの周りでは止めろ、といったりするのと同じレベルのモノとして自分は捉えてるみたいだ。

もちろん全てがおかしな事になっているのではない。誠実に賢明に物事が進んでいることも少なくないはずだ。
しかし、この大きなうねりは止められないのか。加速していくだけなのか。そのうち呑み込まれてしまうのか。

本日は愛知県大会2日目。
私と関わった団体も出演する。ぜひ舞台の上で音楽の愉しみや幸せを感じることのできる演奏をと、願う。

8月
05
珍しいお客さん

2日連続でお出でいただいた。
すだれの内側、網戸の外側。
お友達のヤモリは良く夏の夜に訪れてくれるのだけれど、この方は初めてだ。
日中ずっとこのまま日差しを浴びていたらしい。お家に帰れなくなっちゃったのかな。
日が暮れてきて風がふきだしたら、それまで全く動かなかったのに頭をきょろきょろさせたり羽根広げてみたりあたま掻いてみたり、活発に動き出した。弱っているかも、と心配だったけどいつの間にかいなくなってた。
珍客


身体が透けて綺麗。体長6cmくらい。
調べてみたけれどコウモリは種類が多いらしく種は特定できなかった。

明日も来るかな。

8月
04
Firebird

家捜ししてもどうしても見つからない本を再度手に入れようと古本屋めぐり。
先日から機会を見つけて何件もハシゴしているのだがなかなか見つからない。
焦ることはない、そのうち見つかるさ、とお気楽ではあるのだが。

せっかく巡るのだからついでに他も物色する。
で、見つけた。手塚治虫「火の鳥」朝日ソノラマ版。
火の鳥


6冊。これ、古本屋にはなかなか無かったんだよ。朝日ソノラマ版。
少々やけてるし、破れもありかび臭くもある。1冊105円也。

ネットでは1冊¥1000くらいで売ってるのを見かけたことがある。

既にあるものと合わせて全9冊。
残るはあと3冊。(太陽編 上 太陽編 下 別巻 ギリシャ・ローマ編)

この夏じっくりと読もう。

8月
03
読み返す

手元にある吹奏楽用メソード(各楽器用、合奏用)を片っ端から読み直している。
いろいろ読み落としがあるなぁ、と気付く。

こんなところにこんな事書いてあるじゃん。見落としてたぁ。が多い。
そうか、この意味ようやく判ったぁ。も多い。

「楽譜」とか「音符」とかだけに目に行きがちだけど、そこから何かを読み取ること。
メソードだって全く同じだな。一個の全音符の意味や背景を見抜き、より良く音にすること。

以下はあるメソードに記載されている一文。

音符とは、ある時間のある「高さ」と「長さ」を表したデジタル情報です
〜中略〜
隣接する各音符は一種の点グラフのようなもので、時間的(長さ)にも空間的(高さ)にも不連続にしか記すことが出来ません。
 JBCバンドスタディ 指導書 より