11月
28
ユートピア

先日悩み相談のようなことになった。

複数のスタッフがよってたかって、ああでもない、こうでもない、と。
誰もが真剣にそれぞれの意見を述べ、しかしはじめから結論ありき、の進行ではない。

長い時間かけていろんな話をした。それが当事者にとって何かの足しになったかどうかは全くわからないけれど、少なくとも「話を聞いてくれる人はいるんだ」ということはわかってくれたかなぁ。

私たちが目指しているものは、まさしくユートピアだし、それを音楽の本番として実現できる可能性を持っているあの3年間では、なぜだか日常でも実感できるのだけれど、だからといっていつもその状態が身近にあるとは限らない。
むしろあの3年間は奇跡で幻なのかもよ。その後一度も再現しないかもしれないから。

その体験が有るか無いかで全くその後が変わってしまうといっても過言ではないと思う。
それほど純度は高いんだな。しかし、たいがいその直中にいるときは気がつかないし、理解したときには時間はとっくの昔に過ぎ去っている。
しかも、外から見てて、わからない人は決定的にわからない。
どうしようもない。
どうしようもないからマイノリティなんだと自嘲し、しかし厳然と誇りを持つ。

彼女は、ユートピアであってほしい場所が、今そうではないことに悩み苦しみ、どうしていいか解らなくなっちゃったみたい。世の中には居心地のよい場所があることを知っているからこそ、今、自分の居場所を見失ってしまった感じかな。

そんなときは旅に出るといいと思う。
旅とはどんなに長い旅でも戻るところがある。寅さんだって必ず戻ってくるだろ?
だから良いんだ。戻るところがあるという保険。

11月
27
矢は

放たれ、手元から離れた。

補給を絶たれ、退路を断たれた気分かな?
それとも全然へっちゃらかな?

これが当初想定された状態でしょ?
進展したのではなく、壊れたのでもなく、ただ振り出しに戻ったんだよ。

むしろ、良くここまで維持できなたな、というのが正直な感想。
決して「自分がやってやったんだ!」なんて思わないでね。

素晴らしいのはメンバー一人一人です。
心からありがとう。

これこれで書いたが、はたしてどうだったか。

11月
26

嘘で固められた日常を指摘したら壊れちゃった人。
自身の言動が不一致なのに全く気が付かない人。
保身に走るために見境無くなる人。
偏執癖、あるいは既に病になっちゃった人。
信じることを知らない人。
知らない世界は怖くてそこに飛び込めない人。
謝り方を知らない人。
視野が狭いだけでなく広げようとしない人。
面倒なことには絶対触りたくない人。
他人は利用するものだと思っている人。
限られた情報だけですべてを判断してしまう人。
自分を守るために他人を攻撃し続ける人。
全くその器ではないのにその立場を死守する人。
無責任な噂が大好きな人。
他人の痛みなど気にもかけない人。
解決することと誤魔化すことが同じだと思っている人。
すぐねたんだりうらやんだりする人。
都合が悪くなると簡単に前言を翻す人。
知らなければそれで良いと思っている人。
どんな時も悪いのは他人な人。
人のものを欲しがる人。
決して自分の非を認めない人。
何も深く考えない人。
責任をとることの意味が解らない人。
正面から真実を見ることが出来ない人。
他人の目ばかり気にする人。
 

色んな人。
本当に色んな人がいる。
色んな人を見た。

実のところ、心の奥底深くで「これではダメだ」と知っているのだと思う。
戻ってこれると良いのだけれど、しかし、大概、戻ることを諦めてると思う。

11月
26
混乱

こんな程度のことなのに大混乱。
誰も邪魔しようと思っているのではないだろうに。
苦しい思いして、痛い思いして。

先に進んでいったらもっと大変なことあるだろうから、その時はにっちもさっちもいかなくなって息絶えるだろうね。
確実に。

何故?
 

一晩おいて少し見えてきた。
中央制御システムが無いんだな。
中央制御が機能しないなら分散制御という方法もあるが、それにはネットワークが機能していないし、何より個のクオリティが不十分。

そう、ボス不在なんだ。
だからそれぞれがなんとかしようと頑張るけれど、お互いの共通認識が少ない、それぞれが自分以外の動きを読めない、円滑なコミュニケーションが取れない、などの理由で個の動きですら機能しない。
これ、そのうち嫌気がさしてやらなくなるパターンだね。
(どこかの構図と全く同じか?いや違うか?あそこはもっと凄い。負の二重構造だ。)

私は中央集中制御より分散制御のほうが好き。
絶大な指揮者の言うとおりにやっていれば破綻無く演奏できる(個は楽)、ではなく、少々傷があってもそれぞれの個性が活きる(その分個の責任が増す)ほうが面白い。

巨大な発電所ですべてを賄うのではなく、各個が風力なり太陽光なりでささやかに賄う方が良い(それぞれそこそこの投資がいるが)ような気がしてる。何よりエコっぽいし。

しかし、個の力が不十分なときは、中央制御に頼るしかないしその方が効率的だ。
(個の能力をアップさせ将来分散制御に移行できるような方向性は持ちたい。TSWはその発展途上だった…。)

ボスがいないから、じゃぁ、だれかボスやって!といっても誰もなかなか名乗りでない。そこで責任転嫁ごっこが始まるんだな。このままだと最終的な結末は見えている。すべての責任を誰か一人に押しつけて、あとの人は逃げる。

可哀想に。その役を10代の若い娘がやろうとしてる。
また、それを黙って見てるのか?

11月
24
すべて終了!

「はい。今日で直すべきところは全て直しました。次は6ヶ月後にまたお越しください。」

やったぁ!
始めてかも知れない。歯医者に終了まで行き続けたこと。
これで虫歯は無くなった。
親知らずは手をつけていないけど「不都合出たら抜きましょう、それまで様子見です。」だそうで。
いずれにしても、しばらくは大丈夫と思う。

1つずつ区切りがついていく。
準備は大切だ。
次のために。

11月
24
事後処理

は、ほぼ完了したと思う。

立場上しておくことは全てこなした。
様々な穴が空かないための手当、手配。
必要な情報の提示。
こちらの意図。
それらを全て受け取ってもらえたかどうかは不明だが。

感情的な部分でも概ね整理済み。
もちろん一粒一粒への想いは数限りなくあるけれど、それはそれ。別のことで考えていけば、と。

そろそろ2本線(必ずしも片方が太い必要はないだろう…)を引く時期かと。だらだらとCodaを引き延ばしても冗長で退屈だ。我々のやっていることは、有線放送のように延々と勝手に音楽が流れ続けるのとは違う。

そして、改めて次が始まるのならそれも良し。そうでなければそれもあり。
馴れ合いだけはご勘弁を。
 

年末ジャンボも発売開始したし。
熊野詣でに行こう。三山フルコースで。

11月
23
日誌の

コメントの裏側。

11月21日のレッスン時に少し詳しい話をしようと思っていた。しかし、練習の内容はそれどころではなく、時間延長してもなお3楽章を一通りレッスンしていくことで精一杯だった。だから、するつもりだった話はしないままレッスンは終わった。

最近は誰もが便利に使うインターネット。特にケータイを巻き込んでブログなるものが発達してる。勘違いが多いが通常これは全世界に向けて公開が前提だ。いつどんな人が覗きに来ても良い。希に自分のブログを知らない人が覗きに来た、と怒る人がいるが、それはファミレスで大声で会話して、見ず知らずの隣の人に聞かれ笑われた、と怒るのと同じだ。怒るような内容を公衆の面前で喋るほうが悪い、と思っている。

出来なかった話をいつ伝えようか、と考えたとき、次は1ヶ月ほど先なんだよな。また同じように話をする時間はないかも知れないなぁ。じゃぁ、その次は?いつ?
みんな何かと忙しいから、なかなか上手くいかないかもね。

手遅れにならなければいいのだけれど、と強く思う。
(私の思っている優先順位と違う場合もあるだろうから「何が手遅れか」は、人によって違うかも。)

何の事やらさっぱり判らないかもね。
でも、今までにたくさんの事例を示してきた。着目点のヒントも、具体的な策も提示した。実際ギリギリのところでなんとか解決できたことも一つや二つではない。
もちろんその1つ1つの事例そのものを見直しても判らないだろう。それは個々の問題だから。
そこで行われた思考の方法やパターンの数々が何かの力にはなるかも知れない。

当たり前だと思っていること、出来たと思っていることは如何なる場合でももろく崩れ去るかもしれない、という想定はしておくべきだ。そして、そんなことにしたくないのならば打てる手は打ち続けるべきだ。
逆に、それで構わないのなら、ここで書いている事は無意味で全く必要はない。
 

このところ続けて書いているWIND MESSAGEの内容は、実は連続している。
そして主語が省略されている場合がある。
対象を明言していない事も多い。
(公衆の面前だからね。)
しかし、風任せとはいえそれなりに重要な発信はしているつもり。
(わかる人が判れば良い、というスタンス。)
 

ということで、誰もが一読して判るようには書いていないのでした。
(自分でも十分承知なんだよ、読んでも良く解らないからアクセス少ないんだって。)
 

譜読みって大切だよな。

11月
22
おあずけ

を喰らった2年の日誌。残念だったね。

判るかな、そういったことの1つ1つが緩んだネジなんだ、ってこと。

 

最後二つを舞台裏で聴いた。(本当はもう一つ前に興味があったんだけど間に合わなかった。少し残念。)
その二つを聴きながら、昨日の練習も思い出しながら、何が出来て何が出来なかったか、どんな要求は妥協できなくて、容認できるのはどんなミスか、少し整理してみた。

そして、舞台裏に座り、素晴らしいサウンドを聴きながら、自分がこだわってどうしても譲れない部分について、見事にスルーしていく演奏なんだと思った。二つとも。

それで、自分は何をしようとしているのか見えてきたような気がした。
そして、「やはり間違っていない」と思った。何故かは判らない。何か、もはっきりしない。
しかし、それは「思った」というより「確信した」に近い。もしかしたら「降りてきた」のかもしれない。

その数時間前、自分達TSWの演奏は自分の中に何かしらハマルものはあったからだろうとは思う。
何度か肩と腕に激痛が走り棒を落としそうになりながらの演奏だったが、落第にはならずに済んだように思う。

ま、いずれにしても信じてきた道をさらに信じて前に進み続けよう、と再確認した。
そして、かけがえのない一粒一粒の宝石たちへ、で締めくくった日誌のコメントを思い返したのだ。
 

−−あっと。2年はおあずけだったね。緩んだネジを締め直したら、またそのうちに。

11月
21
ネジ

今日のTSWレッスンのはじめに、指揮者イスの高さ調整ネジが1つはずれた。
背の高いイスだが、5本足だから1つはずれてもすぐにはこけることなく大事には至らずに済んだ。

先日も、リビングで寝っ転がっていてテーブルの脚と天板を留めるボルトが全く外れているのを発見した。
少しゆるんでいる、ではなく、全く締まっていない。

元々はドライバーやスパナで硬く締めていたはずなのに。

長い時間、少しずつの振動や衝撃が加わり、いつの間にかネジの意味が無いほどまで緩んでしまう。
取れてしまってから気が付く。
ひどい場合は取れたことすら気が付かないまま、もあるだろう。

そういえば、準備室に「修理中」の紙が張ったまま分解バラバラになったイスが放置してあったな。あれはボルトがきちんと締まらないまま使い続け、ついには決定的に壊れたのだろう。
 

だから日頃の点検と手入れは大切なのだ。
緩んだネジがないか。
外れてしまったネジはないか。
大惨事になってからでは遅い。

そのためにはまず、正常な状態がどうなっているのか知っていなければならない。
−−正常な状態がどんなのか、どれくらいの人が知っているのだろう。知ろうとしているのだろう。
  あなたは知ってる?

今現在、正常な状態かどうか常に点検し続けなればならない。
−−点検もなく闇雲になっていないか。人任せになっていないか。
  気合いや気迫だけで解決するような簡単なことではない。正確に見抜く目と頭が要る。

明日も正常な状態が維持できるように手入れをしなければならない。
−−その後に省みることはしているか。やりっ放しになっていないか。
  ダメ出しは辛いから聞く耳持たない?
 

こんな事々を日常的にきちんとやっていないから、ネジは少しずつ緩んでいく。
知らないうちに。
気が付いたときには、元に戻れないくらいあちこちが緩んでいる。
いったん始まると急激に加速し不可逆になった時点で崩壊は決定的だ。
その時期は予想に反してすぐ来る。

困るのは、緩むことに自分は関係ないと思っていること。
さらに困るのは、気が付いても締め直さない人が出てくること。

ま、いいや、めんどくさいし。
こんなもんで大丈夫っしょ。
みんな、そんなもんよ。
とりあえず凌いだし。
まさに alla TOYOK…。

でした、今日の練習。
落ち込むのもキレるのも全く同じ、緩んでいくネジ。

ネジを締めよ!今すぐに!
イスや机は壊れても代替えがきくが、人の場合はそうは簡単にいかない。

11月
20
漸近線

xy=1という曲線のグラフは双曲線。そして漸近線。
xが限りなく0に近づいていくとyは限りなく増大する。xが0にならない限り決して0にはならない。論理的には無限に増えていく。

しかし実生活で悠長にそれをやっていることは難しい。
どこかで諦めて引き返すか、一歩踏み込みこむか、のどちらかである。

その境界にあるのが「線」だ。

越えるのは簡単だけれど決して越えてはいけない線。
出来れば越えたくない線。
越えたくても決して越えられない線。
必ず越えなければならない線。
科学的に、地理的に、政治的に、感情的に、様々な線があり様々な意味がある。

臨界点…
分水嶺…
38度線…

 
人の屍を踏んで地雷の埋められた国境線を越える。

 そう、国境を越すための手段が1つある。その手段とは自分の前に誰かにそこを通らせることだ。
 手に亜麻布の袋を提げ、真新しい足跡の上を、それから、お父さんのぐったりした体の上を踏んで、ぼくらのうちの一人が、もう一つの国へ去る。(悪童日記 アゴタ・クリストフ/堤茂樹訳−早川書房)

思いきって踏み込むことが出来ずに無限ループに陥る。

 そして、また一切が冒頭から始まり。−−一字一句の変わりもなく、変えようもなく−−また幼ごころの君とさすらい山の古老の出会いで終わると、古老はまたしてもはてしない物語を書き始め語りはじめ…。
(はてしない物語 ミヒャエル・エンデ/上田真而子、佐藤真理子訳−岩波書店)

 

越えるべき線を越えられない人達の塊。
その昔、思いきって地上に降りるか、そのまま木の上に留まるかで、進化は分岐した。