7月
30
次の段階

最初の段階を超え、次の段階。
ここで関わっているBANDは3つ。

さらに磨き、研ぎ澄ませる。
テクニックと。
感性と。
そして、それらを統括するメンタルと。

バランスが大切だと思う。
意欲満々でもテクニックが無いと空回りする。
いくら楽器達者でも感性が乏しいと単なる音に終わる。

しかし、考えてみればこれらがアンバランスなのはよくある事で、だからこそ技術を磨き音楽の勉強をして高度にバランスがとれるようにしていけばよい。そのために様々な人がいてサポートする。様々なやりかたや考え方をそこからどんどん吸収すればよい。
望んでいただけるのだから私も全力でお手伝いしたい。一生懸命音楽を突き詰めようとしている全ての若い人達のお力になりたいと思う。それが出来ることは最大の幸せである。
 

ただ、それらの行動の根底にある、解決のためのエネルギーを充分出すことは、本人以外が働きかけても難しいことが多い。水場を教えても水を飲むかどうか、ってことなのだけれど。

特に今回特別な事情なのは、その状況を他のアクシデントで得たらしいということだ。
本来頂けるものでは無かったのだから、真剣にその水を飲みたがっていた人達を尻目にその水場を占拠し、さらに大切な水を粗末にしているように見えるのはまずいと思う。

飲めなくなった人達は悔しく苦しいに違いない。棒を振り間違えるのとはレベルが違いすぎる。
音楽を突き詰めようとしている同世代の人達の悔しさや苦しさをきちんと受け止め、引き受け、背負って、力及ばずながらでも精一杯日々積み上げて次に臨む必要があると思うのだが、そんなことは考えなくて良いのだろうか。

私たちにとって次の段階は物見遊山ではないと思う。

7月
27
一段落

初期の喧噪がだいたい収束して、区切りが付いたところ、次に進むところ、いろいろです。

私が関わったところは皆、それぞれ良い成果が出てます。出来たこと(もしくは出来なかったこと)に対してきちんと評価され、満足感と新たな課題をもって次の活動に進めます。
なにより日頃の精進があってこそ。皆さんすばらしい。
そして、そういった活動が出来る環境に感謝し忘れずにいたい。

いつも、結果という「形」に表れにくい成果をきちんと評価したいと考えているのだが、今年のコンクールはそれが少し出来たような気がする。
というのは、本人達はもとより周りの人達にもそれが伝わった感があるから。
そんなのを見ていると私も幸せになる。
「音楽って良いなぁ、みんなとアンサンブルして一つのもの目指すって良いなぁ。」と感じてくれている、また仮に今ははっきりと判っていなくても、いずれはそれが心の糧になっていることに気がつくだろう、ことを思いめぐらして、自然に顔がほころんでくる。
やっぱり「音楽をする」ってのは幸せなことですよ。
 

一方で(これは関わっていない部分での感想だが…)、BANDの力量とそれを牽引する力のバランスが悪い場合もあるように感じた。一回こっきりの演奏を聴いての感想だからあたっているかどうか定かではないが、少なくとも聴いている間にそう感じたのは事実だ。
その原因を推測してみたのだが、いくつか考えられたその壁を乗り越えるのはなかなか大変かも。そうなってしまう環境まで含めるとさらに困難だろうなぁ。

それでも、その場所その時間で関わった生徒達が「音楽の幸せ」に浸れることを願う。
これだけあつくなってスイソウガクに関わっている人達が、この時期を境に音楽から離れていってしまうのは悲しいからね。

7月
24
例年のように

あちこちで始まってきた。

今年は自分のが一番最初だったのかな。
(いや、一つ中学校でもう少し早い時期のがあったっけ…。)

私的にいろいろアクシデントがあったのでずいぶん肝を冷やした…。
ご迷惑をおかけした皆さん、申し訳ありませんでした。助けていただいた皆さん、ありがとうございました。
次は気を引き締めて行きます。

本番まであと数日、というレッスンになって、すっかり改善したこと、まだまだなこと、これからの練習をどうするのか、など、みなさん最後の調整にもう一踏ん張り!

粘り強く。
急がば回れ。

今日は、早い3拍子の旋回舞踏についてとても興味深いお話をお聞きする事が出来た。
なるほど!私のイメージはさらにはっきりしてきたぞ。

7月
19
梅雨明けは?

関東甲信地方は開けた、らしい。
中部はまだか?
夕方遠雷は聞こえてた。
 

この時期、例年慌ただしい。
今年は少しだけ質が変わったけれど、やはり慌ただしいのは変わりない。
この暑い中、若い人達が一生懸命になっているのだから、それに出来る限り応えたいと思う。

本当はもっとじっくり出来たらいいのに、と思うことしきりなのだが、だんだん前倒しになってくるスケジュールに合わせるしかないので。

なんにせよ、至るところで音楽の喜びを味わえると良いなぁ。

7月
10
練習

こんなこと良くあるけど、こう言ってしまうのはなかなか。

3月5日

今日もまた「こんなことしている場合じゃないのに」の練習をした。いつにもまして熱のこもった「こんなことしてる場合じゃないのに」だった。それからひさしぶりに「すこしだけの仮眠のはずだったのに」をやろうとした。90分の仮眠をとろうとしたらうっかり8時間も眠った。自分もなかなか「少しだけの仮眠のはずだったのに」が上達したなと思った。

小生物語  乙一  幻冬舎 より

私も、今日は「こんなことしている場合じゃないのに」の猛特訓をした。

7月
05
迷惑メール

いままで全く携帯(ドコモのガラケー)に迷惑メールが届いたことはなかったのだが、はじめて本日2通来た。

珍しかったのでちょっと試した。
送信アドレス、および本文に記載しあるドメインにping打ってみたら、おぉ、ちゃんと返ってくるぞ。
2通ともメールアドレスと本文は違うドメイン(書くのもめんどくさい暗号のような長い奴だから省略)だけれど、返ってきたIPは同じ。

一通は、
103.48.164.12 (sch-engine.net 日本かな。Whois情報で住所は東京)
Fecebook新規登録、って件名で来た。一応、本文には丁寧に、こちらにアクセスしてください、とか、覚えがなかったら破棄しろ、とか書いてある。

もう一通は、
45.112.128.57 (japan-ftr.com 日本かな。Whois情報で住所は東京)
中身はURLだけ。

と書いているうちに、また1通来た。
なぜか件名にながーいURLが記載されていて、そこのはping返ってくる。
61.63.130.193 savecom (〜@savecom.net.twらしいので 台湾ぽいかな?)
本文はURLのみ。本文やアドレスのはping返ってこなくてIP判らない。

WEBに迷惑メール相談センターってのがあったから、とりあえず全部報告しておいた。
最近の端末は、迷惑メール報告機能、ってのがあるんだ。知らなかった。使いもしない必要のない機能ばかり増やしてるのではないんだね。
 
さて、問題は。
今まで全くなかったのに今日いきなり3通だから、アドレスが漏れたのはごく最近ってことだよな、きっと。
どこからだろう。
FBかな?
ケータイメアド登録してあるのって何だったっけ?

誰か他の人に迷惑がかかっていないと良いのだけれど…。

7月
04
思いついたことを

試そうと思って、古本屋チェーンの姉妹店でジャンクPCを物色中。

現有のPCからリモートデスクトップ接続するつもりなので本体のみで大丈夫だし、HDもメモリも手持ちがあるので、良さそうなジャンクで¥1000程度、と思ったけど、いくらジャンクといってもそうはいかないみたい。
ほとんど実験遊びだから、費用は最小限がおもしろいのにな。

とは言っても、もう少し出せば使えそうなPCはいろいろとあるようだ。
大多数のPCはこうやって復活するチャンスすらなく廃棄されていくのに、このような中古屋があるから使えそうなジャンクを手に入れることが出来る。ありがたい、と思う。

食べられるのに捨てられてしまう食料のことが問題だ、とよく話題になるが、食べ物以外でもまったく同じだね。
次を売らなければ経済が回っていかないからという理由で、まだまだ使える物が大量に捨てられていく。

以前乗っていた車は、まだまだ大丈夫だったのにディーゼル規制で車検通せず手放した。
現在は登録の古い車両の自動車税が割高になっている。うちの車はやはり該当する。
結局これだって、車メーカーの思惑が背景にあるのだろう。もっともらしい理由をつけて車が売れさえすればいいのだから。

そういえば、特に最近、例の古本屋チェーンでは小さな端末を持って片っ端から本にかざしてピコピコやってる人達が増えた。足下にはかごいっぱいの本が積まれていることが多い。
古い本でもまだまだ価値があるぞ、という意味で、これはアリだと思ってる。
正直、本探すのにちょっとじゃまだったり、欲しい本を根こそぎ取られちゃうようで悔しいと思うときもあるけどね。
しかし、だからダメ、じゃなく、対処の仕方を工夫すればよいのだ。それが循環型の促進だ。
 

明日も時間があったらPC物色に行ってみようと思う。

7月
01
捨て石

「新聞を懲らしめるべきだ」といった人が、後日、再度同じことを言ったらしい。
本人はいたってまじめで本気にそう思っているのだろう。

通常、失言(自分ではまっとうなつもりだけど世間が認めてくれない発言…)をしたら、(真意はともかく)とりあえず「お騒がせしました」になるのだと思う。
それが、そうならず同じことを2度言った。

何かしらの変化を求め、自らの意志を貫いて2度も発言し、世の中がさまざま反応し、中には「よくぞ言ってくれた」のような賞賛の声も届き(仮にそれがほんの一つ二つでも「言って良かった」につながるうれしさに違いない…)、ある意味ご本人はご満悦なんじゃないのかな、と私は勝手に思ってる。
 

でもそれは、もっと大きな力に「利用」されてるだけなんじゃないの。
知ってか知らずか。

一度元気の良いやつ使って言わせてみろよ。
あ、本当に言ったなぁ。褒美でもやっといてくれ。
あらら、調子に乗り過ぎちゃったな。
過ぎたるは及ばざるが如し。
騒ぎが大きくなってきたからそろそろお引き取り願おうか。

捨て石。
消耗品。
−使える物は何でも使うだろうからねぇ。−

もしかすると、本人そんなことは先刻御承知なのかもしれない。
だとしたら、自爆テロと変わらんですな。
あ、そうか、特攻隊が見え隠れしてるわ。

これから、このような事がぐっと増えていくんじゃないかと。
そのたびに炎上して、疲れて、飽きて、そのうち「それでいーじゃん。」「なんとでもなれや。」「めんどくさい事言う奴黙っとけ。」な雰囲気を醸し出すまで。

石ころは、どこにでもたくさん転がっている。
私だってちいさな石ころのたったひとつにすぎない。
でも、この捨て石にはされたくないなぁ。