2月
29
神?

洋物の音楽映画を見ていると、必ず出てくる「神」の存在。
最近いくつか連続して映画の中でそのことを目の当たりにして。
人を超越した絶対的な「神」の存在が人自身の行動の規範や制約となり、音楽も神からの啓示を受けて創造される。(と信じている。)
 「神」というもの(偶像があろうとなかろうと)が、自身の向かうべき目標や信じる対象となり、神の名においてすべての苦労は試練として昇華されてしまうのだ。「神のご意志」「神の思し召し」が人の意識を支配し、人はその手のひらの上で俗世を生きる。

さて、私には私を支配する神が存在するのだろうか、と自問してみた。
今まで自分は無宗教だと思っていた。なぜなら、最終的に自分の行動を決するのは自分以外にいない、と信じているからだ。

実家には仏壇がある。我が家にも亡き者を弔うスペースはあり、花を飾り食べ物を供え手を合わせる。しかしそのことが日常の自分の行動規範になっているかと考えると、漠然と大きなくくりで何かあるような気もするが、具体的なことはあまり思いつかない。
また、日本には古来より八百万の神がいる。大きな樹木や岩や滝や世の中のすべての物に精霊がつき、人はこぞってご来光を拝む。
自然崇拝。決して私は嫌いではない。むしろすばらしい景色に遭遇すると神々しさを感じ、ああ、自分は日本人だなぁ、とうれしく思う瞬間がある。
しかしこれでも、日常の行動規範としては弱いのではないか。自然を大切にする気持ちとか、畏怖を感じる場所とか、それによって身を引き締めよう、などと思うことはあるだろうが、直接的に日常の具体的行動に直結することはさほど多くないと思うのだ。

とらえ方を変えて「自分自身の思考や行動を支配する何か」と、別の思いを巡らせてみた。

で、気がついた。私にとっての神は音楽だ、と。
いやいや、そんなにかっこよくないし簡単明瞭ではない。
ただ、「私にとっての神は音楽だ」と考えるといろいろなことが説明できるんじゃないかと気がついた。
私は、すばらしい理想の「音楽」の実現と人の生き方をオーバーラップさせて説明することが多い。我を忘れて時間を忘れて話し込んでしまうほど(聞かされる者にとっては迷惑な話だろう)、皆に一番知ってほしいのはそれだと思っている。

私にとって音楽とは、無条件で信じ、目指す事なのだ。
信じ、目指し、理想の音楽を実現するために、自分がどうあるべきか、どう考えるべきかの根拠をそこに求めている。すなわち自分の行動の規範が生まれる。

そうだ! 信じることにより規範が生まれるのだ。
そうか、私がTSW部員達に理解してもらいたいのはここなのだ。
やっと自分で整理できてきた気がする。

しかし、まだ音楽経験の浅いTSW部員達に、いきなり「音楽の奇跡を信じよう!」と言ったところで何のリアリティもないだろう。
世の中の大半の吹奏楽部員が絶対的に信じることは、「目指せ普門館!!目指せ全国大会!!」なのだろうと思う。
わかりやすく信じやすく目指しやすい。皆が同じ向きになるためにこんなに効果的なことは無い。私もよくわかっているつもりだ。
しかし、私はそれを「本質ではないと」言い放ち、決して潔しとしない。なんと愚かなことだと思う。「信ずべき物」の選択肢を減らしているのだ。
だから、TSW部員は悩み苦しみ混乱する。

心から信じてほしいものになかなか到達できない苦しさ。
みんなそこまで行きたいのに。

大切な物は目に見えない。
大切な事は聞こえない。
大切なものに触れられない。 …。

このジレンマ。

信じるものがない状態でめいっぱいやれ!って言うのは酷だよな。
すべての行為がただその瞬間をやり過ごすための作業にしかならない。あるいはその作業すらあきらめ、首をすくめてひたすら嵐が過ぎるのを待つ、そんな印象を強く持つ。

少しずつ、ぼんやりと、見えてきているようでもあるがまだまだ半信半疑だし、すぐ見失ってしまいそう。

信じるべきことを、どうやって理解したら良い?
信じることを確固たるものにするには何をしたら良い?
それぞれの神をどうやって見つけたら良い?

神?

2月
25
これで

揃った。

揃った上で再スタートだ。あとはやるだけだ。ただひたすら。

TSWに限らず(いや、やはりTSW固有の問題かな?)バンドはしんどい。音を出すまえにやるべき事が多すぎる。しかも多岐にわたる。
だから「あとはやるだけ」という状況になったということは、ある意味幸せなのかも知れない。

あと1ヶ月弱で第三回定期演奏会。持てる力を出し尽くし目一杯ヤリキラナケレバナラナイ。
すべてのエネルギーをそこに集中する。
そして、信じることの凄さを証明してみせよう。

2月
24
決着

がついた、と思う。

いつもの事ながら苦しかったな。ホント命縮めてるよ。何やってんだか。
でも、やっぱりウワッツラのキレイ事がどうしても耐えられないんだな。

どうしようもなく心の底から湧き上がってくる、コントロール不可な生々しい感情。
しかし、なぜか、みんなそれを表に出さないように頑なにガードする。
恥ずかしいのか。知られるのが怖いのか。なるべく見せないように。知らない振りをして。

何とかしてそれを引き出したい。生な素直な気持ちを少しでも表出させたい。
そのことが、多分これから先の活動に大きな影響を与えるから。自分自身の生き方や考え方がより深くなるから。一度出てしまうと楽になるしね

それでもなかなか出てこないんだよ。色々な手を使ってもこちらの意図と無関係なことになっちゃう。
すぐふたをする。ふりをする。
だから捨て身の真剣勝負。出たとこ勝負。
絶大なる覚悟と瞬間瞬間の判断力の世界。
こちらも大きなリスク背負わなければフェアじゃない。
とてもスリリングだ。

今回は特に苦しかった。しかし、どうやら抜けたようだ。
格段にパワーアップしているに違いない。
明日からが楽しみだ。

よくがんばったぞ!

2月
21
信じる その3

今、様々な問題を抱え混乱し、一見収拾が付かないような状態である。

当事者達は何をどうして良いか分からず、何から手を付けて良いか分からず、何をどう考えて良いか分からない。一言で言えば支離滅裂な状態。

みんな、もだえている。苦しんでいる。叫んでいる。そして、撃沈している。
決して高みの見物をしているわけではなく、相当苦しい。昨日も苦しかった。今日も苦しかった。明日もきっと苦しいに違いない。
たった20人前後の集団なのに全員の現状を把握し切れていない。把握しているつもり、なだけだ。次々と問題が勃発する。私は、せいぜい何人かと決着を付け少しずつだがサルベージを開始しているだけだ。

しかし、そんななかでも育つ。それぞれほんの少しずつだが昨日とは違う。よろけながら、こけそうになりながら(実際にこけてる奴もいる!!)、訳が判らなくなりながら、涙でくしゃくしゃになりながら、それでも憑いたように進もうとする。
そう、そのパワーだ。若さあふれる絶対的なパワーだ。検証は後からできる。今はがむしゃらに前へ進むときだ。それは必ず次で生きる。

めげるな。
なげるな。
とまるな。

必ず抜け出せる。抜け出して爆発的にパワーアップする。
今に見ておれ!

2月
19
戻る

戻ってくれた。

こんなに嬉しいことはない。
こんなに一人の大きさを感じたことはない。
かけがえのないメンバーなんだもの。

見えるところ見えないところで様々な人が手をさしのべてくれた。感謝あるのみ。
いろんな事があった。いろんな事を考えた。いろんな事を話した。

私は? 結局何かできたのか? 何かやったのか? もっとやれることはなかったか?

とにかく、おかえりなさい。あなたのいるところはちゃんとここにあります。

2月
17
待つ

私が出来る最大のこと。

望み通りにはならないかも知れない。
裏切られるかも知れない。
逃げられるかも知れない。

でも、
今の不信を超越し、いつか待った甲斐があったと思うことを信じて。

ただ、待つ。

2月
15
卒業式

今日は卒業式。ここに来て二年めではあるけれどある意味初めての卒業生を送り出す。
6人の誇り。心からおめでとう。

良くも悪くも私と出会ってしまった事が何か意味を持つことになる。感慨深い。
私にとってのこの仕事は、関わったみんなにこの先があるから、私の元を離れて全く音信不通になるとしてもそれぞれの未来が確実にあるから、意味があるのだと思っている。
一緒に過ごした時だけでなく。

この地でもそれが始まった。
しっかりと自分の足で大地を踏みしめて歩んでいって欲しいと思う。

かつて私にこんな事を言った奴がいた。
「自分の存在価値なんてものは自分で測ることなんか出来やしない。相手の記憶の中にどれだけ長く大きく居続けられるかで決まってくるんだ」と。

2月
13
気が利く

予餞会のための各部合同のリハが予想通りのペースで進み、そのあおりをくって時間のやりくりが上手くいかず、変則的な練習形態になった。
リハ終了後無理を言って練習室に戻らずそのままの場所で卒業式(予餞会の、ではない!)の練習を試みた。

しかし、自分たちも気が利かない。
どんな練習になるかある程度予想していたら(本当は指示が出ていたはず)一連の楽譜はあるだろうに。
合奏できなくても自分がさらわなければ、と思っていたらその準備はするだろうに。予餞会の準備だけで卒業式の準備がない。直後にある保育園本番の準備がない。

それでもやらないよりはマシだろうと練習開始した。しかし最大の問題は別にあった。
会場内が騒々しい。いくつかの部活動がそこに残っている。残っているのは構わないがうるさい。とんでもなくうるさい。
練習するなとは言わないが、もう少し気を利かせて考えられないか?
打ち合わせするなとは言わない。が奇声を発する打ち合わせはそうはないだろう。
信じられないのはどちらも生徒だけではないということだ。しかるべき指導者がその場に居合わせている。
しかもその声もでかい。僕らの練習に合わせて鼻歌まで歌ってる。

そりゃ、これでは人は育たないよ。見本ができてないんだもの。馬鹿にされてもしょうがない。

そう言えば何ヶ月か前、同じような光景に出くわした。
体育祭アトラクションでマーチングをやるから、前日その場所で練習していた。
後から来た部活が(たぶんいつもの通りなんだと思うが)練習を始めた。
我々がマーチングの練習をやっているエリア内でだ。しばらくは練習の様子を見ていたはずだから、どこから何処までの範囲で我々が練習しているかは一目瞭然だったはず。(ポイントだって打ってある!)
本番前最後の通し練習最中だった。あたりまえだが衝突を避けフォーメーションは崩れ、音楽も合わせられなくなった。向こうだって衝突しそうになれば自分たちの練習が出来なくなって困ったに違いない。

確かに我々はその時だけの外様だよ。よそ者は邪魔だ、と思われたのかも知れない。うっとおしいと思っただろうとは思う。でも、気が利いた人なら何らかの対処は出来たはずだ。
その時もやはり、すぐ側に、その部活動の監督はいた。

悪いのは生徒ではない。大人だ。
だから、人のふり見て我がふり直せ。
自分にもその類の事がないか細心の注意をすべきである。

2月
11
体力

久しぶりに夜を徹した。
自称23歳の私だが、もう少し若かった頃は二日三日と睡眠を取らずに仕事をしていた。
日中は普通に仕事に従事しているのだから、そこでは出来る事と出来ない事がある。
週末に、というのはダメである。私の仕事に週末はない。休みはないのだ。
月月火水木金金。いくら世の中が週休二日になっても変わらず。
すると、どうしても家で、しかも夜中にやらなければならない仕事が増えてくる。
さらに、締め切りが近づくともうどうしようも無い。徹夜だ。

体調が悪くなると悲惨だ。徹夜すら出来ない。締め切りは迫る。
それでもやらなきゃ。辛いね。

我がTSWの諸君も同じような思いをしている人たくさんいそうだ。でもな、やるしかないんだよな。
そのときに必要なのは、他でもない体力。知力でも感性でもない。
体力無ければ元気は出ず、元気でなければ良い仕事は出来ない。
どうしても体がついて行かない、ということであってもやるしかないんだよ。
自称23歳はそれでも徹夜して何とかしてきた。今はとにかく体力が欲しい。

だから、いま猛烈に眠い。これ書いたら寝よう。誰がなんと言っても寝よう。

2月
11
バランス

曖昧だけど深いと思う。バランス。バランス感覚。

音楽をやっているといろいろな感覚の話が出てくる。
リズム感、音感、色彩感、スピード感、…。
様々な音楽表現をするために、具体的に習得すべき事柄からイメージを膨らませる比喩のようなものまで様々有る。

その中でも特に全体をまとめるためにバランス感覚が重要なんだろうと思う。
しかも音楽上だけの話ではない。美意識としてのバランス感覚だけでなく、もっと広義な意味で研ぎ澄まさなければならないと感じる。

「感覚」は生まれ持った物ではなく、磨く物だと思う。
今私はバランス感覚を磨きたい。