8月
24
あんみつ姫

一昨日、南信、阿南町の新野へ行った。道の駅信州新野千石平。標高約800メートル
トウモロコシを買いに。

そういえば昨年も一昨年も行ったなぁ。
実は、道の駅は少し詳しい。
今年は高速道路1000円になったからか、頻繁にマスコミがPキャン(P泊)の特集をやっているけど、Pキャンに関しては10年以上前からのベテランなのだ。だからこの界隈の道の駅は熟知している。
今回、千石平ではないけれどその西にある平谷の道の駅はR153沿いでしかも温泉があるからか、Pキャン車だらけだった。巨大な駐車場なんだけど、凄いね。
気温は20度以下で、車内でもとても過ごしやすい。

ここでは「あんみつ姫」と「甘太郎」の二種類があるが、残念ながら今回甘太郎はもう無かった。

帰宅後即食す。
沸騰後投入してゆで時間3分。

甘い! 砂糖漬けではないかと思うほど。
美味いよ。とっても。
うーん。でもね、トウモロコシにこの甘さは必要ないような。
というより、もう既にこれはトウモロコシとは別物かも知れない。

少しだけ昔の素朴なトウモロコシを懐かしく思う。

ついでに新野の茄子を入手。最近TVでも話題になっていたそうな。
田楽などに最高らしい。
楽しみ!

8月
23
初めの頃を

少し思い出した。
スクールバンド指導を始めた頃の話だ。
 

今で言うとニートなのかな。いや、フリーターかな。学生の時は就職する気などさらさら無かった。

音楽で食っていきたかったが、だからといって学生課の求人票に音楽関連のものは皆無だったしね。
そもそも企業に就職する、という考えを持つ(いわゆる就活する)ことは「音楽を諦める」という意思表示であるという暗黙の了解があり、だれもそんなヤツはいなかった。みんな夢だけを追いかけていたんだな、きっと。

だいたいが、大学院、海外留学、バイトして食いつなぎコンクール狙い。ゆくゆくは演奏家になるか大学研究職になるか。
さしあたっての音楽関連の仕事は、音楽教室の講師か、高校の非常勤。
なかでも志のある人が公立の教員採用試験を本気で取り組む。などなど

「ま、30歳までに1つ大きな仕事が出来ればその後も何とか音楽続けられるようになるぞ。」
という師匠のお言葉で、少しずつ音楽の仕事が出来るようになればいいや、くらいに考えていた。

この頃にやった仕事をネットで見つけびっくり。自分では余り記憶がないんだけど。ホルストNo1、No2を金管アンサンブルにトランスしてる。本当かな?分業だったらしいが。

そこへ、突然話が舞い込んでくる。
「おまえ、高校のバンドやらんか?」
「バンドやりたくてここ(学校のこと)へ来たんだろ?バンドやりたくてホシナとカネダについたんだろ?」
…少し考えさせてください…と言ったものの、次の段階では
「彼の気持ちは固まったようです。よろしくお願いします。」と誰かに電話してる。
…おいおい、俺の気持ちは固まってなんか無いよ!…
…えっ、本当に俺が教員なんかやるんかよ?…

いつの間にか自分の将来が決まっていた。
絶対にやりたくない仕事No1の教員だ。
しかも、吹奏楽の超伝統校。
創部は昭和4年。日本のスクールバンドの草分けだ。第2次世界大戦で中断したらしいが、戦後即復活し華々しい活躍をするバンドになった。その歴史を築いた方が定年でお辞めになり、その後に私を、という流れ。

後から聞いた話、その世代交代でトラブルがあり、それまでの体制から総スカンを食らうことになる。大学出たての若造にそんなことは判るはずもなく。
全くの孤立無援の中で、「全国大会はいつ頃行けるようになるかな?」などのプレッシャーの嵐を浴びながらひたすらバンドをやった。
しかし、超伝統校のはずなのにまともな楽器がない。退職のお土産に持って行かれちゃったんだな。(後から楽譜蔵書の3分の2も持って行かれたんだった。段ボール箱何十箱と。)

学校に聞くと楽器整備予算も組んでない。
いったい今までどうやって活動していたんだよ????
生徒達も交代劇の中でギスギスに揉まれているから、顔見せした途端「部活動指導に対する方針を具体的に教えてください!」と詰め寄られたっけ。
しょうがなく「ぼちぼちやります」と答えたら大きく失望された。威勢良く「全国金賞狙いましょう!」と言って欲しかったんだろうな。

授業だって誰も何も教えてくれなかった。同じ教科他に誰もいないから。
よその学校の誰かに聞けば良かったのだろうけれど休日など無いまま毎日部活指導している中でそんな余裕有るはずないし、誰か、なんて新任早々知るはずもないしね。

結局、自分がやりたいと思い、やるべきだと思うこと(純粋に「音楽」をやりたいと思っていた)を誠実にやるしかないんだ、と誰かを真似ることも出来ずに、教えを請うことも出来ずに、目の前にいる生徒達と対峙するしかなかったのだ。

とはいえ、自分がやりたいことを生徒に伝えその方向で活動させつつ、各方面からの「成果を出せ」というプレッシャーと戦い、その狭間で悶える生徒達を見ながら、自分は何のためにバンドやっているんだ? 何故教師なんかしているんだ? という自問自答の毎日だった。
今でも鮮明に覚えているが、夏休みコンクールの時期になると必ず北海道辺りに行方不明になってしまう師匠へ、パソコン通信(インターネットじゃないんだよ!)メールで、一晩泣きじゃくりながら悩みをぶちまけたこともあった。
(進撃が止まった)コンクールの次の日、合奏中、感極まって涙が止まらなくなったこともあった。とんでもなく恥ずかしかったのだけれど隠してもしょうがないから、そのまましばらく合奏中断した。生徒はあっけにとられてポカーンとしていた。後日親しい他校顧問から「泣いちゃったんだって?」と心配されたよ。
 

その答えがある程度見えてくるのは、もっとずっとずっと後。いやいや、まだまだ見えていないけれどね。
だから師匠の言葉
「教育はな、技術じゃないんだ、人だ。」
が重くのしかかる。

「教員」という立場から逃れたくてしょうがなかった前任校時代。無謀にも「俺はもっと他にやるべき事がある!」と思っていたんだ。音楽家としての野望もあったし。

今は少し違う。自分のポジションというかスタンスというか少し見えてきた。
第一線で活躍することだけが優秀な音楽家なのではない。もっと大切な事が見えてきたと思っている。

「育てる」という仕事。「教える」ことの自信はないので、教育という観点では全くの半人前。
しかしそれでも「育て」なければ次の世代は無くなってしまう。

8月
19
15年以上前の

手紙が出てきた。(掃除の効果だぜ!)

「定期演奏会も間近に迫りたいへんご多忙のところこのような手紙に目を通して頂き、どうもありがとうございます…」から始まる、部活動運営に関する1-C(18)という生徒からの要望書だ。

「…そしてなぜこのような手紙を書いたかというと、それは、この部活がもう既に『つまらない部活』すなわち義務的なものになっているからです。もう既に活気が失われているこの部活を真っ向から見つめたいからです。 …」

ワープロ打ちB5を2枚、理想の部活動についての鉛筆書き図入り。さらに最後の一文で「もう一セット見ていただこうと思っております。」と結ばれている。

残念ながらもう一セットは出てこなかったが、その手紙に対する私の回答がB5ルーズリーフノート3枚手書きで出てきた。出てきた、ということはこの回答は1-C(18)本人には渡っていないのかも知れない。そうだとすればとっても申し訳ないし残念だ。今さら謝っても遅いけど「ごめんなさい」

回答書の冒頭はこんなかんじ。
「まずはじめに色々考えてくれていることに感謝したい。」
さらに
「君の問題提議の答えだが…。」
「そんな事はすべて解った上でこの体制がある。」
と続く。
核心は、
「音楽をする、(私が音楽という言葉を使う時は、ものすごく広い意味を持っている。単純に音を出す、という事ではない)という事のみによって私は救われている。だからなんとかしようと思う。それだけの話だ。」
かな。
その後、私の文は続くのだが、ま、いつも言っているようなことがつらつらと書かれている。

お恥ずかしい限り。私は全然成長してないや。

一方で、時が経ち、この1-C(18)は現在その当時の私の年齢をとうに過ぎている。
この内容がそのまま活きている、もしくは反面教師で役に立つ。どちらでも構わないが、そういった高校時代の経験が今の1-C(18)にとって意味のあるものになっているだろうか。今現在立派に社会に貢献しているのだからそうであって欲しいけど。もしそうなら、なんだかとっても嬉しいな。

8月
18
クレーマー

15日に1つ本番があり、前日リハの為いつものように楽器を積み出していた。
今回は運送業者に頼んでいたので楽勝、のはずだった。

ところが。
積み終わって「いざ出発」となったとき、70過ぎくらいのご老人クレーマーが出現した。
車の切り返しで、「自分の所有の土地に勝手に入った」というのだ。

運送会社がなっとらん!社長呼べ!学校がなっとらん!責任者呼べ!だいたいこの学校は云々!ここの生徒は云々!ここの教員は云々!……。

と炎天下道路上で延々1時間。運送会社の係の人まで飛んできて何とか収めたけれど、リハーサルの時間とかその後のスケジュールとか心配で心配で。

後から運転手さんに聞いたら、トラック入れた時からずっと、横の駐車場に車を停めて、積み込みの様子を見張っていたそうだ。積み終わり出て行く瞬間を狙っていたらしい。
何考えてるんだか理解に苦しむ。(いや理解しようとすること自体が無理なんだ)

有名なクレーマーだし、私自身は二度目なのでびっくりしなかったけれど、運送会社のかたは「ここまで言う人は珍しいですね」と。

「ま、どうしようもなくなったら損害賠償請求してください、ってことですけれどね。たぶん請求費用の方が高くつくと思います。」
「色々詳しいみたいだから警察にいたかたですかねぇ。」
…いや、噂では教育関係者だったと。
「いずれにせよ、心がどうかしちゃってますね。いままでよっぽど辛いことがあったんだろうなぁ…」
…ああ、この方人間デキテル。

世の中には色んな人がいますね。

8月
17
掃除

ようやく自分の仕事部屋の掃除に取りかかった。
大変だよ。要らないものはどんどん捨てよう、と決心して始めたけれど、その選別に時間がかかる。

びっくりしたのはコンピュータの数。
MAC達が!
Color Classic ?(これはパワーPC化改造して快調だったけど…)、Centris 660AV、5400/120、7600/132、4400/200、8600/250。これで全部、と思ったらまだまだ。175Cというノートもあった。合計7台。
こんなOLD-MACをいつまでも持っていることが自分でも不思議だな。ま、愛着があるんだけどね。

で、ついでにWINマシンも数えてみた。これはまだ現役で使うつもりだ。
最初に買った、ノートなのにバッテリーを積んでいないやつ。DELLのノート。DELLのデスクトップ。自作WIN2000マシン2台。最近のウルトラモバイル。
6台もあるんだ。へぇ。

これに、A3ノビレーザープリンターが1台。A3ノビPSプリンタが1台。インクジェットのA4カラー複合機が一台。
もっと他にもあったんだけど(ALPSのMD5000、PS付き、とかね)、既に廃棄してます。

さあ、コンピュータの廃棄は今めんどくさいんだよなぁ。

8月
12
県大会にて

自分達の演奏が終わり、楽器も積み込んで、一段落つき、ロビーのイスに座ってなんとなくくつろいでいた。
そこを通りかかる人達のなかには、昔からよく知っているがいる。さすが県大会。様々な人が集まってくる。
立ち止まっては挨拶がてら近況報告だったり、演奏の感想だったり。年に一度の再会だね。

しばらくして、入り口のドアに若いカップルの姿を見つけた。
なんとなく目で追っていたら、こちらを向いたので
「しまった。何か知り合いと勘違いさせてしまったかも…」ぐらいに思って、また隣の人と話し込んでいた。

誰かに呼ばれた気がして顔を上げたら、先ほどの2人連れが目の前に立っている。「勘違いだろう」と思っていたことが勘違いだったらしく、私を目指してこちらに歩いてきたみたい。

誰だっけか?
よく見て「あっ!」と気が付いた。

「ひさしぶり〜」
「ここ来たら会えるかな、と思ってたけど会えて良かったです!」
「元気そうだね!」
「こちらはどなた?」
「彼です。今度結婚します。」
「へぇ〜。おめでとう!」
「私、まだ楽器吹いてますよ。」

以前何度か指導に行ったバンドで頑張っていたホルンの彼女だ。
久しぶりに会えたことも嬉しいけれど、まだ楽器を続けていることはもっと嬉しい。

さらに。
「どこかでお会いしたことありましたっけ?」
と彼に聞いてみる。
「はい。国体の頃お世話になりましたよ」
ん?頭の中で急速に記憶が甦りはじめ、「あ、わかった!!!」
彼の出身中学やら国体の音楽隊合同バンドやら、鮮明に思い出した。そうそう、そんな名前だったっけ。
全然別の記憶の中にある2人が、いつのまにかどこかで出会い結びついたのだ。
吹奏楽をやっていたのだから、そうなることはあり得るのだけれど、でも、なんだかとっても嬉しい。
穏やかで、あたたかく、華やかで、とてもお似合いの2人だ。

さらにさらに。
「いま私保育士やっているんですけれど、お世話になっている先輩の保育士が子供に鼓笛教えているんです。○○って言う人なんですけどご存じですか?」
「ははは。良く知ってる知ってる。バンドの教え子だよ。」

吹奏楽で広がっていく世界を実感。
小さいけれど種を植え、芽が出て、それを大切に育て続けている人が確実に存在する。
1つ1つはとっても小さなことだけど、その小さな事の積み重なりがなにより嬉しいと思う。

8月
10
二度

遭遇した。学校内で。
一度目は他の人が多数いる場所で。しかし全くのスルー。私が書類を提出しようと説明を受けている間にいつの間にか消え立ち去った。私も知らぬ振りをしたけどね。

二度目はその帰りすがら、体育館から出てくるところでばったり出会い頭。
すかさず「おはようございます」と挨拶の声をかけた。
今度はさすがにスルーできず「あ…、」と言ってほんの少しだけ頭を下げた模様。しかしそれだけ。

誠意のかけらもないよう見受けられてしまう。(もしかして「申し訳ない」と思っているのならもっと別の反応があるだろうし。)
未だに周知していないみたいだし、次の体制について担当者にお願いどころか説明すらないらしい。

どうやって収拾するのだろう?
そのままだんまりを決め込んで、事が進んでいくとでも思っているのだろうか。
だとしたら、夏休みの課題を出さずにそのまま何事もなく運ぶと思っているずぼらな生徒と全く変わらないレベルだと思う。

つまるところ、そんなところなんだな。

8月
09
昨日

テレビをゆっくり見た。
NHKスペシャル。
「日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし」

自分達のやったことを検証しようとする意図にほっとし、一方でその内容に憤慨する。
やっぱりね、そんなところだろうと思っていたよ、な感想だ。

現場の想いとか悩みなどと全く無関係に勝手に事を進められていく。
そこには大儀などなく、個人の身勝手な見栄だけ。
そりゃそうだ。自分達は戦地最前線に行くわけもなく(そんな危ないところへ行けるか!)、戦い死ぬのは末端の兵士(お国のため名誉の戦死!)だからね。
そしてどうにもならなくなっても「しょうがなかった」「それを始めたのは俺達じゃない、別の部署だ」と責任転嫁に精を出す。

それを正しく検証し裁くことは出来ないものなのかねぇ。愚かだなぁ。

そういえば最近身近で似たような感覚を持ったゾ。

8月
08
何故か

急に思い出したある話。
何かで読んだか、聞いたか。ドキュメンタリーだったかなぁ。
おぼろげな記憶を頼りに書くので多少の脚色があります。

===
大きな悩みを持ち、生きる望みを失った少年(少女だったかも知れない)が、最後の最後で電話相談に頼ってみることにした。

北陸東尋坊にある電話ボックスはとても大きいのだ。イスつき。「その前に電話しろ」と電話番号が書いた張り紙がたくさんある。

電話相談員は男性で、長い時間少年の話に耳を傾け、相談に乗り、穏やかに、しかししっかりと励ましてくれた。
少年は彼の話を聞いて、もう少しだけ生きてみようと思い、電話を切った。
ところがやっぱり希望は長く続かず、数日後命を絶つ決意をし、先日の電話相談の彼にお礼を言おうと再度電話をかけた。
電話相談の彼は、事情を知ってか知らずか、再び電話をくれたことを喜び生き生きと少年にいろんな話をする。少年はそんな彼の話しぶりによって心が動き再度生きてみようと思うのだ。
その後何度も電話で話をしていくうちに少しずつ気持が前向きになり少年はすっかり元気になっていく。
生きる気力を取り戻したとき、少年は電話相談の彼にお礼に行こうと苦労して家を探し当て訪れる。そしてとてもびっくりするのである。

やっと探し当てた命の恩人は、人生のラストステージで自分で用を足すことも出来ないずっと寝たきりの老人だったのだ。

老人は言う。「自分の体はこんなんだが、まだまだ最後まで社会の役に立ちたい。何が出来るかと考えたら、電話相談なら寝たきりでも出来る、若い人の相談なら自分の人生経験を生かせる、と気が付いた。」

少年は思う。本当は自分がこの死を目前にした老人を励まさなければいけないのに全く逆だった、自分は愚かだったと。そして生きる気力を呼び戻してくれた老人に心より感謝するのである。

===
思いやりってなんだろう、と考えたことも思い出した。
「人の役に立つ」という発想はどうも偽善に思えて気に入らなかったときだから。

この話を知って、「そうか、思いやりは一方通行ではいけない」と。
とかく、強い者が弱い者を、かばう、守る、ような意味合いで「思いやり」というが、実は違うのではないか?
弱い者が強い者を思いやることだってあるんじゃないのか?
何が「強い」「弱い」のかで意味合いが変わってくるけれど、少なくとも一方通行ではいけないのではないのか?

そんなことを当時考えていた。
今も同じだ。

相互に関わること。
一方通行でなく。
それぞれの立場を尊重して。
それがアンサンブルだ。

8月
07
どっち?

馬鹿は死ななきゃ直らない by 次郎長外伝
馬鹿は死んでも直らない by ハナ肇とクレージーキャッツ

「どっちが本当ですか? 」の問いに対し「どちらも正しい。なぜならどちらも現在は馬鹿という意味だから、来世を考えても無意味」との答えがあった。

なるほど。解りやすい。確かにその通りだ。
 

残念ながら、もはや誰も馬鹿を正してはくれないだろう。
それどころか誰も相手にしてくれなくなるだろう。(既にそうだろうと思うが)
そしてその事に気が付くのは本当にひとりぼっちになってしまった後だろう。
その時に最大級に悶え苦しむ。しかし何故そうなってしまったのか理解できることは決してないだろう。

ここに書くほどではないと思ったが、敢えて書いてみた。

見えている形が変わったとしても、本質の変形はあり得ない。
だから、本質を見えてない人がいくら正義を振りかざしたところで、それが偽物である事には変わりない。
本質が見えている人にとっては一目瞭然で滑稽きわまりない。
これ以上迷惑が及ばないのなら、それ以下でも以上でもないけれど。

もっとも「何が本質か?」は神のみぞ知る、だけど。