8月
07
一区切り

6月に入ってから休み無くずっと続いていた吹奏楽コンクールへ向けての様々な取り組みが一区切り付いた。

多くの団体に関わるので、それぞれの個性とがっつり組み合って真剣勝負していると体力的に苦しいと思うときがごくたまにあった。(年齢のせい??、いやバンドのレッスンはパワーがいるのだよ!)
それでも、真剣に対峙して若い人達からたくさんのパワーもいただくから、次の日また同じように活動できる。ありがたいことです。

順調に出来たところ、準備に手間取ってしまったりなかなか思うようにいかなかったところ、逆に思った以上の成長を遂げたところ、様々だけれど、どこの誰もが、若くてしなやかな感性に何かがしっかりとどまって、この先の力になることは間違いないと思う。
そして、私はいつもそんな皆さんからパワーいただく。
 

今年も様々なエピソードがあるのだが、今は一つだけ書き記そうと思う。
N高校の付箋

(たまたま見つけて暗いところを急いで撮ったからか、ピンぼけで何かよくわからなくなっちゃった。)
これ、シーズン当初レッスン開始する時に「こんな事やると良いよ」と紹介する、コンクール課題曲・自由曲のダメだし表。
練習時の未解決ポイントを生徒達が自ら付箋に細かく書いて貼っていく。問題点の指摘表だ。解決したら剥がす。

詳しい説明は避けるが、これがきちんと運営出来るバンドは必ず伸びる。

もちろんこの表は「音が合い」「音楽が揃う」ことを目指すためにある。だから、そのだめ出しを指導者が全部していけば同様の効果はあるだろう。いや、むしろそちらの方が効率的かな。
しかし、大切なのはそこに至る道筋をバンドのメンバー達が自ら組み立てることにあると思っている。問題点を指摘することだけにとどまらず、改善のための練習を各々が組織することや、その成果を相互評価することまで、この表は含んでいる。
若い人達にとって、自分以外の者に対して「問題点を指摘する」という行為はかなりハードルが高いらしい。個人的事情を越えて関係者を集め指示をし問題点を解決していくのはさらにハードルは上がる。さらに、そのことを全員の目にさらされながら行うのだ。
集団がきちんと運営できていないとこの表は成り立たない。
だから、練習場のどこかにこの表があると、高いハードルを越えようと皆が強い意志で同じ目標に向かっていることを感じ、すごく嬉しくなる。

上の写真は今年の、ある高校バンドのもの。
やはり、素晴らしく良い演奏をした。練習も皆前向きでとてもスムーズだった。コンクール的にも県代表選考会という本番まで快進撃した。

そうそう、久しぶりに県代表選考会(高校)に行って改めてすごいなぁ、と思った。
グランドハープ2台、チェレスタ、コントラバスーンに、コントラバスクラ、コールアングレ…。ウィンドマシン始め打楽器の楽器クオリティも凄まじい!そんなバンドばかりだった。私立のみならず県立も!!!
一方、愛すべきその高校は、ハープ・チェレスタ有るわけ無い。コールアングレはおろかオーボエすらない。バスーンもない。メンバーでない1年生に至っては担当楽器の不足で別の楽器で練習、しかも交代で!のような、強豪校とは全くかけ離れたごくごく普通の学校なんだな。

本番のアクシデントはそれなりにあっただろうと思う。良くありがちな「吹けてないところは吹かなくて良い」「傷は聞こえないように隠す」の発想は微塵もないから、コンクール的には聞く人にとって印象が良くないこともあったかもしれない。
しかし、全員が音楽の喜びを感じながら、表現という領域に達することが出来た素晴らしい演奏であったと確信する。それは一つの大いなる目標に向かって全員が主体的に精一杯発揮し、しかも誰一人臆することなく音楽に参加していることの証明だ。

そんなバンドの演奏に関わる出来て、今年も絶大なるパワーをいただいた。
本当にありがとう。
もちろん、今年はこのバンドだけでなくそのような展開のバンドが多くあった。それぞれが力を発揮し、音楽をする意味を確認できるような、素晴らしい事が多かった。

ここまで私が音楽や吹奏楽を続けてこられているのは、そんなバンドで頑張っている若い人達がいるから。
本当に心から感謝します。

ありがとう。
ありがとう。

11月
19
余韻

先日の日曜日の昼過ぎ、本番があった。あぁ、楽しかった。
その時はただそれだけを感じ嬉しかった。

実はその晩、なかなか眠れなかった。
ようやく寝付いて、浅い眠りの中で夢を見た。
今自分が考えていて、やろうとしていて、生きているうちに出来たらいいなぁ、と思っていることが実現している夢だった。
ハッと目が覚め、この夢は絶対忘れてはいけない、と強く思った。

それから、じわじわと、その本番の真の意味が理解できてきたような気がする。

私はかつて、創部昭和4年という希有な伝統を持つ、東邦高等学校吹奏楽部というところの顧問で毎日指導をしていた。
前任からそこを引き継ぐときに様々混乱があり、何も知らずに着任したとき私は全く孤立し、以来私以前との断絶は続き、しかしそのなかで伝統に見合う活躍をしなければならないプレッシャーと戦い続け13年ほどでそこを辞めた。

辞めてからやはり変わらない状態でさらに年月が経ったが、邦吹会という私以前の東邦高校吹奏楽部OBの方々が中心になっているBANDで本番を振ったのが先日の日曜日の昼過ぎ。この日この本番をもって続いていた世代間の断絶がとうとう終了した。

本番最中は、冒頭に書いたように、単に「ようやく繋がることができた」ことが嬉しくて楽しかった。ようやく私を認めていただけたのではないか、と感じて幸せだった。時間はかかったけれどようやくここまで来る事が出来たのだ。

邦吹会20151115

ただ現在私が東邦高校吹奏楽部の現場にいないことはなんだか申し訳ない…。

が、その後じわじわと滲みあがってきた事がある。
私が2曲、そして先代が1曲、この二人でたった3曲15分ほど、その時だけの寄せ集めバンドで街角演奏することが、私個人の感情などとは比べものにならないくらい、とてつもなく大きな意義を持っていたことに気がついたのだ。
今それが大きな余韻となって私の中を駆けめぐっている。

創部以来85年を越える(きっと日本国内でそれだけの伝統を持つスクールバンドはほんの僅かだろうと思う…)伝統が、言葉のみで語られる歴史としてではなく、実際の人と人が繋がって受け継いでいく生きた伝承として蘇りつつある。その時々に関わる個々がいてこその伝統だが、受け継がれ出来上がった流れは人の意図を遙かに超え大きなうねりとなる。そのうねりの中に世代を越えた人の繋がりが厳然とあること。それこそが今まさに生きている文化なのではないか、とさえ思う。

まだまだ「始まり」に過ぎないが、とても大切な「始まり」だ。
その小さな「始まり」も勝手に始まったのではない。それを望み働きかけた方々がいらっしゃってこそ。心より感謝いたします。

記念写真

そして何よりも良かったのは「間に合った」こと、だと思う。本当に良かった。
「望むこと」の大切さ。

その晩に見た夢は「望み続けろ」ということなのだ。きっと。

6月
06
喫煙室

移動中、高等学校の校門横にて、雨の中にもかかわらず立ちつくして喫煙している人を見かけた。

いうまでもなく、校内禁煙になってしまったのでしかたなく「校外」に出てちょっと一服、な愛煙家先生だと思われる。

少しだけ同情しつつタバコのことを考えていたら、つと思い出したことがあった。
全く別な時と場所なのだが、喫煙に関する何度も出会った同じような状況のことだ。

そこには喫煙室があった。(施設内禁煙なのだから本来あってはならない部屋。力のある愛煙家の超法規的措置による。本来ならば当然冒頭の状況にならなければならない。いや、それだってあまり見栄えの良い物ではないが…。)
当然、愛煙家は何か理由を見つけてはそこに行ってたばこをくゆらす。
それは全く構わない。私だってかつて自他共に認めるヘビースモーカーだった。タバコを吸いたくなる心境とかタイミングとか喫煙中の雰囲気とかとても理解できる。
はじめは「どうごぞゆっくり」な気持ちでそんな状況を流していた。

しばらく経って、いつの間にか物事のあらましが決まっていたり特定の情報が特定の人達だけに知られていたりすることがあり、それはなんでだろ? と考えていて「そうか?」と思い至った。
組織のトップは愛煙家。愛煙家だから要人というわけではないが、要職に愛煙家は複数いる。有象無象の愛煙家はそれなりに。
「そうか、喫煙室が密談室になっているんだ」

通常、喫煙室はタバコを吸うところ。そしてリラックスするところ。だから愛煙家はそこに集う。
その状況で、様々な話題が出て、その(大概は他愛もない)やりとりがあって、業務に戻っていく。

しかし、時として状況が逆になることがあるのだ。
暗黙の招集がかかり、煙の中で頭をつきあわせながら策を練り、ヤニにまみれて出来上がったそのプランを持って喫煙室から出てくる。

嫌煙家は絶対その部屋に入ってこないだろう。保証付きだ。どうしても急ぎの用事があったらケータイ。
健康を害すると最大敵視している煙った空気、ヤニのにおいの中に自ら入って来るわけがない。
それを良いことにそこにいる人達だけで物事が決まっていく。
「決定」されるわけではないがだいたいの骨子ができあがりその後のシナリオが出来ている。

一番はじめに気がついたときは「フェアじゃない!」と気に入らなかった。
いつどこでそのことを糾弾しようか狙っていたくらいだ。
再度違うところで発見したときには、ああ、まただ。で終わらせてしまったけど。

私がそこに入って行っても咎められることはなくむしろ歓迎されただろうが、休煙(禁煙)はじめたばかりでまだ不安定だった私がその部屋に入ったら、絶対また吸いたくなるに決まってる。
吸いたくなったらまたいつでも吸うぞと(今でも)思っているが、仲間に入りたいがための喫煙再開という愚行はしたくなかった。(する人もいたということだ。そして勘違いが始まる。)

全く同じ状況に何度も出会った。全然別のところでも。別の時間でも。
きっとどこでも状況は同じなんだろうね。人のやることなんだから。

幸か不幸か、私の休煙は途切れることなくまだ続いている。

10月
11
ストライクゾーン

FB上で、いつも気になっている方の連続投稿なのだが、私の環境ではどうしても記事が順序良く並ばないので、取り出して並べ直した。

原文が出てきた。リンクしておきます。 訂正加筆されてますね。2014/10/12]

きちんと最初から読んでみて、なかなか興味深い。
基本とは何か、教育機関で教えるべき事とは何か、こういった視点はとても大切だと思う。
自分の身の回りに当てはめてみて、いちいちなるほどと頷く。
特に11段とか21段とか22段とか。
最終段の「半年か1,2年も経てば摩滅する」は、バンド(吹奏楽)経験者の燃え尽き症候群と似ている。

1. 少し時間が経ったが、この間、某調理専門学校の自己点検評価委員会に参加して、久しぶりに興奮する議論があった。

2. 実務の現場では、たとえば、卵一つにしても、学内実習のように新鮮な卵ばかりが使えるわけではない、様々な理由で鮮度の落ちた卵を使わざるを得ない場合もある。

3. そうすると、ある意味、理想的な環境で学んできた学生の料理の技術がたちまち頓挫する場面も多々出てくる。

4. いつも、?上級?の食材で学ぶのではなく、?中級??下級?の食材や環境で学ぶことが職業教育本来の実践的な教育ではないのか。

5. そうでないと、就職した途端、理想と現実とのギャップで、学生達はショックを受け、自分の学んだ技術を発揮する前に、リタイヤしてしまう。昨今の新卒学生離職者の多さも、そのあたりに原因があるのではないか。

6. (この段落は欠落?)

6.  (後日発見)卵の鮮度を変えた実習授業、実務の現場の、食材を含めた環境を意識した実習こそが、専門学校の職業教育には必要なような気がする、という指摘だ。

7. これは、某調理専門学校の教員の意見ではなく、業界現場の外部委員の指摘だった。

8. これに対して、某調理専門学校の教員側の意見は、講義の中ではそういったことは教えているが、実習ではそういった実習をわざわざ行うということはできていない。今後考えてみたい、ということだった。

9. この間の、某調理専門学校の自己点検評価委員会の議論は、このやりとりをどう考えるのか、という私の提案から始まった。

10. 教員「そこに、問題はない」という製菓のカリキュラムリーダーから議論ははじまった。面白い。

11. 教員「学校で教えることは、『おいしい』という味が何かを教えることであって、まずいときにどうするかの前に、『おいしい』とは何か、ということを教えることが学校で学ぶもっとも重要なことだと思います」(続く)。

12. 教員(承前)「そのことなしに、鮮度や食材の質の問題をやっても、小技の話に留まります。そんな小技ほど実務の現場で学べばいいことです。小技しかない実務現場はいくらでもあるのですから」

13. 私「それは大切な指摘だね。なるほど美味しいという味の頂点を見定めることなしに、あらゆる食材の鮮度を見極めながら、その味を目指す調理をすることなどできないよね。味の頂点の高みの体験なしには鮮度の差など存在しないからね」

14. 校長「『頂点』というか、『味のストライクゾーン』ね」

15. 私「そうか。なるほど『頂点』というような言い方はたしかにおこがましい。『ストライクゾーン』を外さない経験を学生時代にさせる。それがあらゆる食材評価や食材調理の基本なっていくということですね」(続く)

16. 私(承前)「たしかに、調理の事業所(就職先)なんて、小規模なところも多いから、ストライクゾーンと言っても、ゆるめのストライクゾーンの事業所も多いし、経験主義的な外れもある。本来のストライクゾーンをきちんと学ぶには学校しかない」

17. 私「そもそも、離職者が多くなるのも、ストライクゾーンの経験がないからとも言えますね。それさえあれば、自分の務めた事業所がどんなところであっても、ぶれずに仕事に集中できる」

18. 私「ストライクゾーンの経験があるからこそ、目先の一喜一憂にとらわれずに、道を究めることに邁進できる」

19. 私「学校教育が『基本』教育だというのは、基礎教育や入門教育のことを言うのではなくて、実務の多様性に惑わされない基本を身につけさせると言うことね」

20. 私「その手前の実践教育とか即戦力教育というのは、逆に、実務の多様性に埋もれてしまい新卒離職者を増やしてしまっているということね」

21. 教員「そうだと思います。若い学生のうちに、下手な食材処理テクニックを身につけさせるのではなくて、味覚が麻痺してしまっている若者たちに、まずは味のストライクゾーンを体得させることです。そのための料理、製菓の教育を行うのが第一優先です」。

22. 教員「技術教育はストライクゾーンの体得なしには意味がありません。ストライクゾーンを目指すためにこそ技術は存在しているのですから」

23. 私「そこ(ストライクゾーン)が分かっていれば、鮮度評価やその処理はあとから付いてくる、と。一方、それをわかっていない人材は、いつも小技で終わる職人に留まる、と」

24. 教員「そうです」

25. 私「いや、勉強になります。だとすると世間の考える実践的教育とか即戦力人材育成というのと、今の議論とはかなり乖離があるよねぇ。この乖離をきちんと埋めていく努力なしには、実務家と学校現場が議論しても必ずすれ違いに終わる」

26.私「今の専門学校も大学も、口を開けば『コミュニケーション能力』なんて言うけど、そこには自立した職業人の像や基本は存在しないということね。そもそもコミュニケーションというのは多様性に対する反応能力のことだから、ここで言う〈基本〉の反対語なわけだ」

27.「即戦力論も実践的職業人育成も、実務現場で半年か1,2年も経てば摩滅するような?訓練?をやっているわけで、それこそが新卒離職者が増える元凶。多様性対応は、多様な教育を行うのではなくて、専門的な基本教育こそ重要ということですね。実務家も〈実践〉の意味を分かっていない、と」

つまり、?基本?教育こそ、教育の頂点でなければならないということだ。それこそがもっとも実践的な、息の長い人材作りの原点だと。それは、多様にまみれる実務の現場では不可能。学校教育以外には可能ではないが、学校現場と人事部は相変わらずコミュニケーション能力(笑)。アホだと思う。

しかし、何度も読み返していて少し気になりだしたことがある。
音楽教育における「ストライクゾーン」って何だろ?
自分なりに解っているつもりで読んでいても、もし、人によっては全く違うストライクゾーンをイメージしているのだとしたら、この文の意味合いは全く変わってしまいそうだ。

7月
09
凄まじい

事態に遭遇している。
うん、やはり凄まじいのだと思う。

あまり状況が把握できなかった段階で関わり、ある程度予想はしていたものの知れば知るほど「なにこれ!?」である。
詳細を書きたいと思うのだが、それはもう少し後になるかと。

じっくり書く必要のある内容だと思い、しかし今は連日「ピッチィーッ!」とか「合わせてー!」とか「聞けよっ!」とか「感じろぉーっ!」とかで、思いのほか疲れる。やってる最中はみんな素晴らしく集中してるし疲労感なんて全く感じないけれど、終わった途端、へなへなへなぁーと床に座り込んでしまうくらい。そんな時でも私自身はすこぶる充実してる。

ただ、これだけは今すぐにでも言いたい。

学校吹奏楽は良くも悪くも「教育活動の一環」。そこで体験し感じ身体に浸みたことは一生持って歩く。一生影響する。その大切な始めの瞬間に立ち会うのだから。
全ての吹奏楽部員が音楽の専門家を目指しているわけではない。むしろ目指す人はほんの僅かな一部だろう。しかも、そんな人は将来もっと深く音楽を勉強する機会を持つだろうから、少々の事があっても後々取り返しがきく。
だからこそ、学校吹奏楽の場ではきちんと深い音楽を知らしめ生きる糧としての豊かさを伝えるべきだと思う。アマチュアだからテキトーでよいのではなく、アマチュアだからこそきちんとした物を見せなければ!

そして、それが出来るはずの専門性の高い人達が、「たかが吹奏楽」「たかがアマチュア」と軽く見るのではなく、楽器の奏法やコンクール対策をさらっと示して「出来る出来ないはあなた達の能力次第」で終わってしまうことなく、奏法技術にしろ音楽性にしろ、じっくり「育てる」指向性を持ち、楽器を手にして目を輝かせている生徒達が一生音楽を好きでいてくれるよう真剣に相対するべきなのだと思う。

様々な難しい状況が背景にある事は承知の上。
でも次を育てなければ全てが先細りだ。

11月
26

嘘で固められた日常を指摘したら壊れちゃった人。
自身の言動が不一致なのに全く気が付かない人。
保身に走るために見境無くなる人。
偏執癖、あるいは既に病になっちゃった人。
信じることを知らない人。
知らない世界は怖くてそこに飛び込めない人。
謝り方を知らない人。
視野が狭いだけでなく広げようとしない人。
面倒なことには絶対触りたくない人。
他人は利用するものだと思っている人。
限られた情報だけですべてを判断してしまう人。
自分を守るために他人を攻撃し続ける人。
全くその器ではないのにその立場を死守する人。
無責任な噂が大好きな人。
他人の痛みなど気にもかけない人。
解決することと誤魔化すことが同じだと思っている人。
すぐねたんだりうらやんだりする人。
都合が悪くなると簡単に前言を翻す人。
知らなければそれで良いと思っている人。
どんな時も悪いのは他人な人。
人のものを欲しがる人。
決して自分の非を認めない人。
何も深く考えない人。
責任をとることの意味が解らない人。
正面から真実を見ることが出来ない人。
他人の目ばかり気にする人。
 

色んな人。
本当に色んな人がいる。
色んな人を見た。

実のところ、心の奥底深くで「これではダメだ」と知っているのだと思う。
戻ってこれると良いのだけれど、しかし、大概、戻ることを諦めてると思う。

11月
24
事後処理

は、ほぼ完了したと思う。

立場上しておくことは全てこなした。
様々な穴が空かないための手当、手配。
必要な情報の提示。
こちらの意図。
それらを全て受け取ってもらえたかどうかは不明だが。

感情的な部分でも概ね整理済み。
もちろん一粒一粒への想いは数限りなくあるけれど、それはそれ。別のことで考えていけば、と。

そろそろ2本線(必ずしも片方が太い必要はないだろう…)を引く時期かと。だらだらとCodaを引き延ばしても冗長で退屈だ。我々のやっていることは、有線放送のように延々と勝手に音楽が流れ続けるのとは違う。

そして、改めて次が始まるのならそれも良し。そうでなければそれもあり。
馴れ合いだけはご勘弁を。
 

年末ジャンボも発売開始したし。
熊野詣でに行こう。三山フルコースで。

11月
18
情けない人達

は相変わらず情けないままのようだ。
1つ1つ事例を挙げるまでもなく。

あんたらこの先々大丈夫かよ!と余計な心配もしたが、これからはそういったこと全てしないと決めた。
そのエネルギーがもったいない。

以前ピュアな関わり方と書いたが、ようやくはっきりとその状態になったと思うので、今までそれを阻害していたところへの遠慮は一切しないことにする。

しかし、その報告は途中経過を含めて、いまだに全くされていないらしい。昨日知った。
なんのこっちゃ。
それが一番ダメでしょ!
私自身がそこに関わるつもりはもう既にないけれど、呆れてモノも言えないとはこのこと。これでは情けない人が増えてしまうよ。

であるからには、本筋に戻り、もう少し体勢を立て直す事をしようか、どうしようか…?
回数と物理的距離はどうしようもないからな。

少なくとも、忘れたり、やらなかったり、落としたり、出さなかったり、のような、より良い物にする執着心の薄れや、他への責任転嫁は何とかした方が良いと思うのだが…。

5月
22
無駄

は大切だと思う。
ただし、無駄を生かす、無駄は生きる、ということを理解していなければならないが。

たとえば。
花にんじんを作る。花にんじんとは花びらのような形をにんじんで作るもの。煮物等の飾りにすると見た目は美しいし、少し贅沢な感じがする。作ると切りくずが出て食べ物がもったいないと思うなら、普通の輪切りでかまわない。味付けが違うわけではないからね。
しかし、切りくずは「ゴミ」ではない、それを使って別の物を作ればよい、と思えば手数は増えるが、品数も増えるし美しい盛りつけで豊かになれる。

たとえば。
できれば失敗はしない方が良い。失敗はダメなもの、悪なもの、と思えばなおさら。
しかし、その失敗で経験値が上がる、生きる為の肥やしになる、と思えば失敗はたくさんあった方がよい。様々な経験をすることでその人の豊かさにつながると思えば、失敗は失敗でなくなる。

以前、自分の中で「豊かさとは無駄の多さである」と定義したことがある。
効率よく無駄なスペースを作らない収納庫は、物の出し入れに苦労する。一度きれいに詰めたら二度と出したくなくなる。

もちろん無制限に大きくても意味がないが。

無くても良いけれど、有って活用すると豊かになれるもの。それを付加価値というのではないか。
「無駄」は必ずしも「浪費」ではない。無駄だから一方的に排除する、のような発想は決して豊かさを生まない。

スクールバンドは経費がかかる。桁違いに大きい。
大きな音が出てうるさい。近所迷惑だし授業後の補習や仕事に支障がある。
毎日遅くまで練習、休みの日も練習、もっと勉強する時間が…。

確かにどれも事実だ。でもそれを無駄だからといって排除する方向に動くと確実に貧相になる。
「バンドが無くなる」といった直接的なことだけでなく、それを維持しようとする心の豊かさが無くなる。その事はつまり「魅力を失う」ことだと気付くべきだ。

しなければならないのは、その一見「無駄」と思えることを活用する方向に発想すること。
実はその発想が既に「豊かさ」なのだと思う。

2月
21
卒業式

予餞会・卒業を祝う会・卒業式が、全日制、定時制の両課程で終了した。
それに伴うそれぞれのリハーサル、練習などなどもあった。
我がTSWは忙しくハードな三日間だった。

毎回、本番前はどうなるかと冷や冷やさせられるの勘弁してほしいなぁ。間に合わないかもしれないという綱渡りは本当に苦しい。予定通りに練習が出来たとしても怪しかったのに、全体リハーサルの延長やら、式典の他の練習やらでどんどん練習時間と場所が限定されてしまったから、さらに苦しい練習になった。
演奏だけではなく、予餞会ステージの出ハケが全然組み立てられずとてもみっともなかった。
間に合いそうもないと思ったので、結局、口を出し指示をしてしまった。我慢強く充分待てないんだなと反省しきり。

そんなこんなではあったが、拙いながらも何とか誠意を込めて卒業生を送り出すのに失礼ではない演奏にはなったったかと思う。外からの刺激・圧力で緊張感を高めるのではなく、自身の中から余裕を持って緊張感を出せるようになったら、と願う。
 
−−
TSWみんなの先頭に立って一生懸命部活動をしていたのにパタッと私の前から姿を消した生徒がいる。
その彼女がこの卒業式で学校を巣立っていった。

TSWから離脱するにあたり何も感じなかったわけではないと思う。
その後、私たちの練習はいつも聞こえていただろうし。
卒業式の演奏だって間近でTSWの音を聴いたのだ。
万感胸に迫るものはあっただろうと、この先力強く生きて行けよ、なんてつらつら考えながら答辞を聞いていた。
ただでさえ、立派な答辞で感心していたところ、ある不意打ちを食らい見事私の心に命中したのだった。
思わず涙が一筋流れた。
熱い感情が徐々に胸に込み上げてきて、のようにドラマチックなものではない。突然、つっと一筋流れてしまった。

式後、友だとたちと屈託無く笑い喜び合っているのを見て、私の心の中にあった重い物が取れた気がした。
心の底から嬉しく思い、ひとりでに笑みがこぼれてきて困った。
一瞬こちらを見た気がしたので思わず声をかけようとした。が、止めた。
プライドの高い彼女のことだ、自身の感情をコントロールしようとして無理をさせてしまうだろう、と思ったから。
結局そのまま何も言わず見送った。でもやはり私は一人でにやけていたような気がする。

何にせよ良い卒業式だった。
こんな卒業式に立ち会えることが出来たTSWの諸君は幸せだろうと思う。
その直後に行った吹奏楽連盟の会でも「立ち会った生徒たちは本当に良い経験してるよねぇ!! 吹奏楽部だけの特権だよねぇ!!」と話題になった。

日誌にこんな感想があった。
「全日制よりも、定時制の方が「自分たちは卒業するんだ!!」ってオーラ!?がギラギラっぽかったです。どうせ卒業するならあんな風にしたい!!と思います。」
4年間生き延びた末の卒業なんだもの。そりゃ、うれしいだろうさ。

答辞の一節。(これは記憶…)
「普通の高校生ではない道を選択したがためにお父さんお母さんに重い荷物を背負わせてしまいました。ごめんなさい。」
いやいや、謝る必要は全く無いと思うよ。立派に卒業したじゃん。

いつもは挨拶しても見向きもしてくれない金髪アンチャンに「おめでとう!」って通りすがりに声をかけてみたら、小さな声で「うん…」って応えてくれた。心の底から喜んでいることがヒシヒシと伝わってくる。

皆さん、卒業後も立派な人生を歩んでください。自分の生き方に自信を持って下さい。誰の物でもない自分の人生なんだから。