8月
30
蟋蟀

が聞こえるようになった。
昼はツクツクボウシ。

酷暑はどうやらやり過ごしたようだ。
いつの間にか8月も終わり。

伊那谷の天麩羅饅頭も食べたし、新野千石平のトウモロコシ甘太郎も食べた。(甘太郎は生を囓ったら、なんと素晴らしくジューシーで梨のような甘さだった。)

もうじき秋が来る。

8月
08
WIND MESSAGE 2011 SUMMER

 つい先日、関わっている吹奏楽団体すべてで今年の夏コンクールレッスンが終了した。
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 長期間出入りしているバンドもあれば、一回だけ呼ばれてレッスンしたバンドもある。楽器や活動場所が何でも揃っているところもあれば、練習時間確保すらおぼつかない厳しい条件のところもある。
 一口に吹奏楽部といってもその内容は千差万別。それでも同じ舞台に乗るのだから音楽をする環境としてコンクールはかなり過酷だと思う。
 しかし、どんなにバンドの環境が違っていたとしても変わらないことがある。本質的な音楽の喜びを感じる可能性は、すべての人の前に開けているはずだということ。
 にもかかわらずあらゆる障害によりその可能性が閉じられていく。しかもその障害は本人達にはおよそどうしようもない事だったりする。いわゆる「オトナノツゴウ」の場合が圧倒的だ。

 私のような者が一人でいきり立って解決することではないのだが、それでも何とかならないものかともがいてみたりもする。その挙げ句に「どうしようもない障害」という現実と、進みたい方向即ち「理想」との狭間の中でより苦しむ結果となってしまう場合が多い。「私が」苦しむだけなら構わないのだが、それで関わった人達皆が苦しむのを見るのは辛い。

 これ、実は私自身が昔から何も進歩していない証明に他ならない。自己紹介で「年は23歳です」と冗談っぽく言うが心の中では全く冗談だとは思っていないのである。本当に不甲斐ない。

 唯一の救いは、その後、彼ら彼女らが自分の道を精一杯生きているのを垣間見て、私と過ごした時間が何らかの役に立っているかも知れない、と感じたりする事だ。逆説的な意味合いのほうが多いが、それでも「何か意味があった」と思えるのは密かに嬉しいものだ。

 この夏、私と関わったバンド諸君達にとって何か大切な意味を持つ時間にすることができたのだろうか。コンクール特有の「キンショウ」とか「ドウショウ」とか「ダイヒョウ」とかに縛られない音楽の喜び、即ち、生きる喜びに繋がる種を植えることができたのだろうか。
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(改めて)
 つい先日、関わっている吹奏楽団体すべてで今年の夏コンクールレッスンが終了した。

 私にとって重大な個人的問題はその次だ。これで本来の仕事がほとんど無くなるからな。
 世の中は厳しい。どうやって食いつなごうか。

 ただ、自分の中での覚悟は固まってきてるように思う。
 どんなことになろうとも、自分の前にある道を歩くために食いつなごうと思っている。それをしている限り若い人達に種を植え続けられる。

 種を植えなければ、決して芽は出ないのだから。
 

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以上は8月6日に行われたイベントのために「WIND MESSAGE 2011 SUMMER」として書き、それを転載したものである。