12月
31
大晦日

に考えた事。

この一年、本当に様々なことがあった。

多くの犠牲を払いつつ一生懸命やった。
しかし。
私のスキルで出来ることは全てした、と思うが、全然歯が立たないことが多かった。
範疇を越えていることばかりだった。
なかなか伝えることが出来なかった。
打つ手が無くどうすることも出来ないことが多かった。
数え切れない失敗をした。
それでも前に進まなければならなかった。
それでも体制は維持しなければならなかった。
眠気と戦う帰り道、SAで途方に暮れる毎日だった。
苦しかった。逃げたかった。

でも、私は今も生きている。
焦燥と後悔と懺悔の山に埋もれながらも。

しかし純粋な沢山の心から無尽蔵なエネルギーを頂き続けている。
ありがたいことです。
だから「生きながらえている」とは言わない。
希望と期待と未来を背負って私は今も生きている。

もうすぐ新しい年になる。

12月
30
親切

何度も話をしたので重複するけれど。
「親切な行い」と「親切な心」の違い。

「親切な行い」を教え、実際にさせることは出来る。そして、それが出来たかどうか検証することが出来る。電車に乗ってしんどそうな人がいたら席を譲ることを教えることはできるし、そして実際にその状況で行動できたかどうか、を評価することも出来る。具体的な行為行動だから。これはもちろん教育の守備範疇であるらしい。

しかし、その行為がどのような動機によって行われたか、は検証が難しい。
上記の状況でも、たまたま偶然に席を立っただけかも知れないし、「何で私が貧乏くじ引かねばならんのだ!」と怒りながらもしぶしぶだったかもしれない。
行為と心は必ずしもシンクロしないものだ。
だから席を譲る親切行為が純粋な「親切心」から行動したかどうか真実は大変わかりづらい。
そもそも「親切心」って何?
この定義すらきちんと説明できないかも知れない。
だから教育によって「親切」な心を持った人にすることは極めて難しいということのようだ。
定義や検証が極めて難しいから。出来ないからやらない、に聞こえるけれど…ね。

もしかしたら宗教とか哲学とかの範疇なのか?とは思う。

このことは、最近マスコミを騒がせた学校の問題で、ワイドショーコメンテーターの「学校って所はきちんと勉強教えていりゃ良いんだよ!」との発言に要約されるのかな。
 

私(私たち)は音楽をやっている。音楽とは音の高さや長さや強さや音色や、他様々な要素の順列組み合わせ以外の何者でもない。当然、理屈は定義できるし、理解したかどうか検証することが出来るが、音楽を理屈で説明しようと思うととても高度な理論が必要で大概辟易する。
にもかかわらず、誰でもそこに人の複雑な心情や言葉では表せない感情などを見いだそうとする。演奏するときも聴くときも。「音」を通して目に見えない心に思いを馳せるのだ。
ドレミがわからなくても、4分の3拍子がわからなくても「今の歌は心にしみるなぁ、故郷が懐かしいなぁ」と…。

その心情はどこから来る?
感情のとらえ方をどうやって知る?
誰が教える?
感性とかセンスとか、つかみ所のない物の言い様で片づけて、本人が勝手に身につけるのを待つしかないものなのか?そんな呑気なことで良いのか?

私の口癖「センスは磨く物だ」。それでは、誰が磨く?誰が磨き方教える?
 

「親切な行い」について1つ1つ例を取って説明し教え示唆する。励まし、やらせて、出来るようにしていく。それは教えることによって出来る。しかし単なる行為の修行である。
さらに大切なのはその修行を重ねて「親切な心」を育むことではないのか。(その事を宗教では悟りというのか。)
教育というからには「教える」事と「育てる」事と両方必要であると思う。
今の世、教えることは学校がやるとして、誰が育てるんだろう?
家庭? 地域? 社会? 学校? 
 

音(音だって随分漠然としている!)を通して、目に見えない心を探ろうとする。
そして、閾下にある意識を顕在化させ認識させ次に繋ぐ。
それが教育の範疇であるかどうか知らない。今のご時勢、学校では難しい気がする。
しかし私は音楽(吹奏楽)を通して何とかしてそんなことをやろうとしているのだと思う。それが出来る状況をTSWでつくりたいのだと思う。
なぜなら私と関わった全てのTSWな人に「親切な行為が出来る」だけではなく「親切な心の持ち主になって欲しい」、すなわち「育って欲しい」と思っているのだもの。

12月
30
日誌より

年末総集編ってワケでもないけれど、いくつか並べてみます。

〜前略
この部活にいていい、いちゃいかんじゃなくて
それは自分できめることじゃないの?
私は自分次第だと思うよ。

==

〜前略
何故、いていい?ってきくの?
すごく悲しくなって、あーもう!!ってなったよ。
「いたいんだ」って自分の心にあるのなら、そのままそれでいいんだよ。って、私は思うな。
何でいるのか、理由はわからなくても、今はわからないけど、ここに「いたいんだ」って思うなら、TSWだよ。
後略〜

==

〜前略
「諦めない事」しょっちゅう大切だ、大切だ、と言われると思う。でも「割り切る事」も大切と言われる。矛盾しているようだけれど、そうでもないと思う。「諦めないために割り切る事」これこそが大切だと思う。
後略〜

==

〜前略
人の心を動かす、心って形が無いのにそれを動かすって、すごいし、不思議だなぁと思った。

==

〜前略
今日は一度だけ、いつも、わぁーってなって失敗のところがピッタリとそろって思わず鳥肌がたって、すごいっていってしまいました。よーく考えれば、その時の自分は「ここでみんな出てくる!」というものすごい確信があったんだろうと思いました。音を出した瞬間、心がぴたっとくっついたかんじでした。アンサンブルかな?
後略〜

==

〜前略
人の音を聴くということ。反応するということ。
普段の生活の中で、最近特に、自分のものさしで物事をみてしまっている。”私の普通がみんなの普通”ではないのに。余裕がない。イライラしてしまう。あたってしまう。何でイライラするのか…。結局自分のやっていることを、間違いだとは思いたくないだけなのか。でもどれが正しいかなんて、わからないのがあたり前で、間違いもすればいい。こわがっていたら前に進めないのに。
十人十色、人それぞれの価値観、考え方がある。でもそんな人たちが集まって1つの音楽をつくる。「私」を持ちつつ、相手の話をきき、冷静にみるようにしたい。
後略〜

決して贔屓目ではなく、ぐんぐんと成長している。
心の中は見えないから、1つ1つは全然目立たないけれど。
素晴らしい!!

12月
29
焦ったぁ

時間が出来たので、かねてからIntelPCでやりたかったUbuntuというLinuxを試してみた。
これでも一応VINE-LinuxをOldMAC時代から親しんできたので、大丈夫と思っていたが。

ちんぷんかんぷんな人、ごめんなさ〜い。

で、USBメモリへのインストール失敗し、WINでさえ立ち上がらなくなってしまったのでした。
GRUB Loading… Error 21
原因解明と復旧に一日かかりました。その説明は…、ここではヤメとこう。

マシンは全く元のままです。メデタシメデタシ。

12月
28
2008年

のTSW活動は本日終了した。

1年色々あったな。

反省会したら、みんな口をそろえて「大変でした」だって。
当たり前だよ。大変なことしてんだから。
いや、違う。「みんなにとっては大変と感じる事してるんだから。」が正解だな。

みんなにも話したけど、大変なことを見過ごさず真正面から受け止めることが出来るようになったから、よりいっそう大変だった、と感じるんだよ、きっと。今までは大変なことを見て見ぬふりしたり、誰かが肩代わりしてくれていたり、黙って避けていたり、見ないようにしていたから、大変だと思わなかっただけでね。
素直に「大変」を受け止めることが出来るようになった「進歩」だと思えば良い。そして今現在まだTSWにいると言うことは、曲がりなりにもそれを突破してきたんだと、自信を持って良い。それがTSWのプライドだ。

私にとってこの大変さは大学出たてで仕事始めてから、ずっと変わらず共にある。もう慣れっこだ。
しかし、自分で言うのもなんだが、狂気の沙汰だと思うよ。常軌を逸脱しているというか。

前任校の時も思っていたけれど、ここでもこの一年は同じ事思っていたな。「学内で一番勤務時間が長いぞ」と。休日無し。一週間7日間朝から晩まで。月月火水木金金。
一体何のためにやっているのか見失いかけた事一度や二度ではない。
学校のため?生徒のため?地域のため?自分のため?名誉のため?
いや、今だって何のためにやっているのか正直解らない。よくTSWメンバーが「自分って何かわからない」と言うが、そんな事は私だっておんなじよ。
ただ、私は音楽が好きだ。吹奏楽が好きだ。みんなと音楽出来る事が幸せだ。
それだけじゃダメかい?

この狂気の沙汰に取り憑かれて○○年。
また今年も暮れていく。

初代機動戦士ガンダムにホワイトベースという戦艦が出てくる。状況が何となく似てるかな、と思うことがある。
また、銀河英雄伝説という話に、ヤン・ウェンリーという人物が出てくる。かつて「似てる」と言われたことがある!?(ほんとかよ!)
だから、どう?な話だけどさ…。

世間では非正規採用切りで非常に冷たい風が吹いている。
人ごとじゃないぜ。

12月
28
アンコン

結果は敢えて書かないよ。

本番、楽しかった?
アンサンブルできた?
自分のこと言えた?
言えずに悔しかった?
人の話聞けた?
聞けたけど応えられなかった?
メンバーとかけがえのない時間を過ごせた?
私もやりたかった?

もし、いくつかでも「YES!」と答えられたら成功だ。
さらに。次、もっと!と思ってくれたら大成功だ。

一段ずつステップアップをしていく。
そのためにも、少しでも時間を見つけてアンサンブルをし続けよう。

12月
27
一番

恐れていると思われることは、自分を受け入れてくれないこと、かな。
そりゃそうだろうね。誰だって自分の存在価値を認めてくれなかったら苦しいからな。

そんな状況になりそうだと、自分を受け入れてくれない相手を受け入れることができず、まずは自分を受け入れるべきだと自己主張と要求を繰り返し、気が付くことのない自己矛盾と、取り残されてしまうかも知れない恐怖に苦しむ。そして次第に、認めてくれない相手に敵意を抱き攻撃を開始する。そしてさらに受け入れてくれなくなり、受け入れの要求が激化する。
この悪循環の連鎖は断ち切れるのかな。

その際、認めてくれない原因が自分自身にあるかも知れないという可能性は全く考慮されないことが多い。あるいは、単なる思いこみだったり、勘違いだったりかもしれない。もちろんそこに真実があるかも知れないが、たまたま小耳に挟んだ根も葉もないうわさ話かも知れない。もしかしたら意図(悪意の場合だってある!)を持って吹き込まれてしまったかも知れない。

いつの時代でもそうなんだろうけれども、特に現代の若者たちにとってそんな状況は多いのだろうなぁ…。あちこちWEBを徘徊しているとネット上でそういったやりとりをよく見かける。ヴァーチャルだからデフォルメされてるかもしれないけれど、それはとってもしんどい生き方だと…。

何が大切で、何が真実で、何が本質か、見極めるのはどうやっても自分自身だ。他人が決めることはできない。だから「自己責任」で片付けてしまうのは簡単。
しかし、翻弄されることなくその見極めが正しくできるように鍛えていくのが教育なんだろう。初めから正しく見極めなんかできないから様々な事例を通して少しずつ学んでいく仕掛けが要る。…果たしてできているのだろうか。

何もしないでいると、本人は知ってか知らぬか、一つ一つの小さな積み重ねにより次第に大切な物(受け入れてくれる人)を失っていき、気が付いたときにはもう取り返しがつかなくなっていく。
引き返せるところで(不本意であっても)声をかけてもらえるうちはまだ良い。うっとうしいと思える人がいるのは幸せだ。誰からも何も言われなくなったときに「自由になった」と思うのは大きな間違い。誰も相手にしてくれない究極の不自由を手に入れたことになると知るべきだ。

ネットのマナーでよく言われるでしょ?
「荒らし」に対しては「反応せず」「削除し続けること」って。
それって本当はとても悲しいことだと思うよ。だって自分の発言を削除し続けられてごらん?

12月
26
アンコン前夜

明日はアンコン地区大会本番。

Clarinet-5、Saxophone-4、Horn-3、BariTuba-4、のグループ4つ。
他にもグループ組んだが、事前の校内予選でこの4グループに絞られた。

アンサンブルコンテストの対応は「全て生徒で組み立てること」を課題にしている。
昨年までは楽器編成の条件やそれぞれの思惑が錯綜し、グループを組む調整がうまくできなかったり、選曲で難航したり、練習の進め方でもめたり…、と大変だった。

初めは、何故混乱するのか理解できなかった。
様子をうかがいながら解ってきたことは、それぞれが言いたいことを言うくせに他人の言っていることを聞けないことだ、と。
攻撃のみで受容がない。だからせっかく誰かが調整役買って出ても聞く耳持たないんだな。「わたしはこれやりたいの!!」って。言った者勝ち、になってしまい面白くない思いをたくさんしただろうと思う。
今年はその苦労を余り感じなかった。
たぶん、前述の文を読んだ後に即座に立場を入れ替えて読み替えることができる、みたいな人が増えたんだろうと。

今回も「アンコンのこと、自分たちでどんどん組んで行けよ!」と指示してからは、こちらから積極的に何かを仕掛けてはいない。
若干の不安定要素はあったものの、生徒同士の調整だけでここまで来た。練習も自分たちで企画し運営した。
レッスンに持ってくるのが少々遅過ぎな気もするが、それでも数回ずつのレッスンはした。そして、アンサンブルに対する私の想いを伝えることはできた。
後はそれぞれのメンバーがどれだけ消化し、練習し、達成するか、だけである。

まだ明日の本番前に少しだけでも練習の時間はあるだろう。
最後の最後まで諦めずにアンサンブルの意義を深めてほしいと思う。

自分の主張と他との調和。
アンサンブルは一人ではできない。

12月
26
虫歯

恥ずかしい話、歯は悪い。
途中で歯医者に行くのを断念したままの歯。
詰め物が取れたまま大きな穴の空いた歯。
少しずつ虫が進行している歯。

右上の親知らずも虫歯だ。大きく穴が空いてる。近頃ずっと少し痛みがあった。
つい最近一部が欠けたようだが、どこかで引っかかってぶらぶらのまま取れない状態が続いていた。昨日何かのはずみで少しだけ移動したみたい。そしたら噛むたびに他の歯と干渉して痛いのなんの。
触っては見るものの、どうやら元の鞘に収まるそぶりは見せてくれない。
むしろ酷くなる一方。しゃべる事もままならない。
「困ったなぁ、これじゃアンコンのレッスン出来ないよ」
と高速道路の渋滞を良いことに、意を決して力をかけてぐいと押してみた。痛いけど我慢我慢。
もう一度!
あやっ!?
ポコッと虫歯の穴の中にかけらが入り込んでしまったぞ。
ん?
でも…、痛くない? かも…。 …おぉ!解放された。
他の歯も干渉しないゾ。

とりあえず痛みはない。「奥歯に物の挟まったような」感じもなくなった。無事レッスンは何事もなくできた!
よかった。この暮れ正月、歯痛で苦しむことは免れた(と思われる)。

もちろん虫歯に自然治癒はあり得ないから、いずれはきちんと直すなり抜くなりしないとダメだけど。
そうだ、来年は(嫌がらず)歯医者に行こう。
時間あるかな?

12月
24
録音

最近、駅伝応援や練習の都合で何曲か録音することがあった。

録音で活躍するのはRoland EDIROL R-09。便利だ。小さくて軽い。単3電池2本で動く。
外部マイク付けなくても音質は充分実用に耐える。
USBケーブルでそのままWAVファイルをパソコンに取り込める。だからCD化がらくらく。
もちろんオプティカルアウトでデジタル出力もある。
メデイアはSDカード。最新システムでは16GB, 32GB の SDHCへの録音/再生が可能。
便利になったものだ。

いくつかの録音を後日ゆっくり聞き直した。そして、意外にまともであることに少しばかり驚いた。
楽譜配って一度確認の合奏やって再度さらわせ、日を改めて少し合奏レッスンした直後の録音である。
細かいことを言えば全然ダメだけど、そこそこの雰囲気出してるし、アンサンブルの基本は押さえてある感じはする。短い時間で譜読み・さらいをこなし、一定のレベル以上にする力を付けてきたという事だ。
もっとも、音は荒い。決して綺麗じゃない。
でも、音楽になっている。少なくともその方向を向いている、ことは確か。

密かに嬉しかった。
ここまで来たんだ。